ランドセル

二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災は言語に絶する大災害であった。大地震、大津波、大火災、原発事故という悲惨な状況が次々と起こり、今なお、多くの人たちが苦渋に満ちた生活を強いられている。

大震災を報ずる当時の海外メディアは、家を失い、家族を失い、財産を失いながらも冷静さを失わない東北の人たちの姿を驚嘆を持って報じた。「混乱の中 避難所で秩序と礼節の日本人─悲劇に直面しながら冷静さと秩序、静かな勇敢さ─」(ニューヨークタイムズ2011.3.26)。「中国記者『反日消えた』」という見出しで、日本人が大混乱の中で秩序を守り、堪え忍ぶ姿を称賛する中国の記事もあった(共同通信2011.4.22)。「略奪一件もない」と称賛するロシア紙もあった(共同通信2011.3.14)。

東北の人たちが見せた節度ある行動は、外国人のみならず、日本人としての自覚と誇りを呼び覚ますものでもあった。地震の後、全国一斉に繰り広げられた救援活動や募金運動、節電協力は日本人としての一体感や連帯感に根ざしたものであろう。

景気低迷、円高不況、若者の就職氷河期など日本経済が停滞する中、肉親の愛情を逆手に老人をだまして金を奪うオレオレ詐欺なる犯罪がはびこる世相となり、日本人の品性の劣化を嘆かざるを得ない状況にあった。

オレオレ詐欺で逮捕された若い詐欺犯を見るにつけ、この人たちは祖父母の温かい愛情を受けずに育ったのではないか、沖縄のように老人への愛着の強い地域でもこの種の罪を犯す若者が増えているのだろうか、と思いをめぐらすとやりきれなくなった。

しかし、二〇一〇年末より、児童相談所にランドセルを匿名で送り届けるタイガーマスク現象と呼ばれる慈善運動が始まり、その数はやがて全国的に拡大し千件を超えたという。こういう慈善運動は、度重なる国難の中にあって内向きになった日本人がもう一度、自分を見直し、互いに支え合おうという意識の芽生えとは言えないだろうか。

このたびの東日本大震災において琉球大学医学部小児科の金城紀子先生の支援活動は素早かった。

二〇一一年三月二十六日、金城先生は現地のボランティア団体と連携して、被災地の子どもたちへ絵本やおもちゃを送るため、メーリングリストを通して沖縄県小児科医会の仲間に協力を要請、支援物資の集配に奔走した。さらに四月二十一日の被災地の小学校の入学式にあわせて、新品のランドセルを贈るための募金運動を展開し、多くの小児科医の協力を得て四十名の新入生の入学式に間に合わせることができた。

ランドセルは子どもたちの夢を叶える贈り物であるとともに、日本人どうしの連帯感を象徴するもののように思えた。

大震災の年に行われた第25回全国短歌フォーラム(2011.10.2)の優秀作品の中に悲しいランドセルの歌があった。

ランドセル背負いし遺体

抱きかかえ

泥にひざまずく

自衛隊員

(長野県塩尻市 中澤榮治)

我々は、大震災の教訓を忘れてはならない。