場所といい、試験問題の内容といい、使い回しの問題・解答用紙といい、差し入れの冷えた赤マムシ飲料といい、テキトーな試験官といい……。

過去数年にわたって撃破され続けた大学入試とは全くかけ離れたタイプの試験であり、自分の中で何かの観念が大きく変わった。

「これ程いい加減な試験も世の中にはあるのか。でも、どこかがまともな感じだし、自分には合っているかもしれない……」

そんな筆記試験に比して、身辺調査の類は念入りにされている気配があった。私の人物確認で近所の方々への聞き込みも行われた他、大して記す程のこともない私の経歴も事細かに書かされ、聞き取りもされ、確認もされた。

筆記試験と身体検査に合格し、身辺調査も問題なかったらしく、約1ヶ月後の入隊が決定する。

(令和の時代となった今、自衛隊の入隊試験はもっと厳正、且つスマートに行われていることと思う。私が入隊した頃も、高校の新卒者たちが多数受験する3、4月時期の入隊試験は厳正に、そして規律正しく実施されていたらしい。一方、それ以外の時期の新入隊員は「季節隊員」という表現で呼ばれ、私のように8月という中途半端な時期の入隊者は各個バラバラに、散発的に受験していたため、「これ程いい加減な試験も世の中にはあるのか……」と、受験者が呆れてしまうケースもあったのだ)

それから入隊までの間は、護衛艦に乗艦しての、東京湾内での体験航海に参加したり、所属を希望する第1空挺団見学のため、習志野駐屯地を訪問する等して自衛隊の雰囲気を知ることができた。

習志野駐屯地の案内をして下さった空挺隊員の方は、顔つきが凶悪そうで眼光もやけに鋭く、「A先輩の言うこともまんざらではない」と思えたが、駐屯地の売店で売られている迷彩柄のバンダナを私にプレゼントして下さり、「是非、空挺団に来て下さい!」と、激励までして頂いたこともよく覚えている。

自販機の会社を辞めて時間に余裕ができた私は、「入隊前に海外旅行にでも!」と思い立ってオーストラリアを2週間程旅した。

不思議な巡り合わせで、旅の先々で防衛大学校の4年生とばかり知り合いになるのだ。単独で行動する者もいればグループで行動する者たちもいて、そのうちの何人かとはとても親しくなった。

年齢は私より2歳程下だが、「いずれ上官になるかもしれない……」そう思うと複雑な心持ちがする。

ただ、日本よりは治安が悪いであろう外国での一人旅で防大生と行動を共にするのは心強く、「自分も自衛官になれば、そのような安心感を日本国民に与えられるのだろうか?」そんなことを思っていた。