第1章 転職先は陸上自衛隊 ~入隊前~

高校卒業後も数回の大学受験に失敗し続けた私は、24歳の時点で、当時で言うフリーターだった。

そして、自動販売機管理会社の契約社員として都内の大手ホテル内にて勤務をしていた。

時代は昭和の終わりから平成のはじめにかけての時期。日本はまだバブルの最中にあって浮かれていたが、お隣の中国では天安門事件が起きていた、まさにその頃である。

中国の若者たちが民主化を求めて中国軍戦車の前に立ちはだかり、独裁政権と真っ向から対決する姿がテレビで放映されていた。

「中国軍は自国民をも武力で圧殺する軍隊らしいが、日本の自衛隊は違うぞ。自衛隊は徹底して国民を守る組織だ!」

私の直属の上司であるA先輩が、不意にそう切り出した。

ホテル側の従業員にも、そして私が勤務する自販機管理会社側の社員にも自衛隊の出身者が数名おり、A先輩も陸上自衛隊で2任期満了(4年間勤務)された方で“レンジャー教育修了者”でもあるとのこと。

色々な意味で「結構いい加減」ではあるが、面倒見がよくて話も面白い先輩だった。特に自衛官時代の逸話が大変興味深く、日々の業務が一段落した昼休み等には、当時の武勇伝をしばしば伺ったものである。

「俺には“自衛隊始まって以来初!”という経歴が三つある。一つ目は、入隊以来1年間、全く外出しなかったことだ。修行僧のように自分を追い込み、ひたすら体力練成に励んでいるとだなぁ、最初は感心していた上官も心配し始めて、『頼むからそろそろ外出してくれ、そうでないと俺も困るんだよ……』と頭を下げてきた程だ。それで仕方なく外出してやったぞ!」

「二つ目は、2士でレンジャー教育を修了したことだ。それで上官や先輩たちからも一目置かれる存在になったぞ!」(※2士とは自衛官の中で最下級の階級であり、一般的な軍隊の2等兵に相当)

「三つ目は、陸士長で米軍に留学したことだ。一緒に行進訓練なんかやると、みんな背が高くてこんなだったよ(手で背丈の違いを表現)!」という内容のお話であった(※陸士長は上等兵に相当)。

またA先輩は、自衛隊入隊前に渡米してヘリコプターの操縦免許を取得していたらしく、それにちなんだ逸話も伺った覚えがある。

「ある時、離島で急病患者が発生した。小さな女の子だったな……。間が悪いことに、“駐屯地にヘリコプターはあるがパイロットがいない”という状況だった。そこで上官に自分(A先輩)が呼び出され、『確か、お前はヘリコプター操縦の免許を持っていたよな。お前の操縦で急患を空輸し病院に搬送してくれ!』との命令を受け、急患の少女を空輸したんだ。免許取得後にヘリコプターを操縦したのは、後にも先にもその時限りだったよ!」という逸話だ。