環はウッドの指定する日に再びクイーンズ・ホールに赴いた。楽譜鞄から東京音楽学校時代に生徒たちにも教えた小学唱歌集をとりだしてウッドに渡すと、彼は二曲選んで歌うよう促した。環が「さくら」と「ほたる」を示すとウッドは早速に伴奏をはじめた。

「日本の歌は実に美しい」ウッドは満足気にうなずいて「ロイヤル・アルバートではぜひこれをうたってください。マダム・ミウラ。貴女はほんとうに素晴らしい音楽家です」とピアノから立って握手を求めた。彼の暖かい心情が身体中に拡がる思いの環であった。

「さくら」は日本人が昔、奈良に都があった頃から愛してきた花であり、今では日本人の家庭で最も親しまれている琴の曲でもあることを告げると「あなたのお国がこの歌で浮き出るようオーケストレーションを考えましょう」とのことであった。ウッドに楽譜をあずけ環は言葉を継いだ。

「サー・へンリー・ウッド。どうか、この間の”リゴレット”を歌わせてください」

彼女にすれば日本唱歌のみでは自分の持てる本領を発揮できない。日本人である自分の技量が西洋の音楽家たちの歌う同じ曲でこの機会に認められなくては、というおもいがあった。

ウッドはしばらく考えていたが、

「マダム・ミウラ。貴女の“リゴレット”は大変素晴らしいものです。カルヴェ(一八五八〜一九四二)にくらべても決してひけをとらないでしょう。(25)しかし今度の音楽会では日本の歌だけをうたってください」

環には彼女の《リゴレット》をあれだけ誉めたサー・ヘンリー・ウッドの気持ちが解せない。ウッドには、音楽会のプログラミングから他国の歌手とのバランスもあったし、アデリーナ・パッティの歌う《フィガロの結婚》のアリアとの対比をも考えての親心があった。しかし、彼は内心今まで聴いたことのないこの日本の歌手の声の魅力を十分に感じていたのも確かである。ややして、

「チャーチル卿夫人のご意向もありますから、一度夫人をおたずねして、ご意見を伺ってみましょう」

ウッドに案内されてチャーチル邸を訪ねることになったが夫人も彼と同意見で、特にアデリーナ・パッティ(一八四三~一九一九)への配慮が先にたった。(26)