そして、新たな自分ともきっと出会える。一生の中で、誰かに感謝されたり、社会に認められる何かを1つでも成し遂げられたらいい。そこから生まれる確かな自信は、その後の人生の大きな糧になるにちがいないからだ。

夕方から深夜にかけて、ドラッグを売って稼ぐ金額は、だいたい最低$50から多いときは$500ぐらいだという。

「Easy Money(簡単に稼げる金)」そして「Fast Money(あっという間に手に入る金)」は、やはり魅力的なのだろうか。

人間は、「努力」をして金を稼ぐべきである。

しかし、「努力」とは、少々トリッキーで厄介な言葉である。

努力と評価するのは、結局自分ではなく他人だからだ。夢中で夢を追いかけ、目標に向けてやるべきことをやって、最終的に結果を出せれば、まわりはそれを「努力」と評価するし、反対に失敗に終われば、「努力」とは認められないことが多い。

手を抜いて、適当にやりながらも努力しているように見せることもできるし、どんなに頑張っても努力とは受け取ってもらえない場合もある。

また、努力したらした分だけ報われる、「ツイている人」や恵まれている人も実際いるし、逆にどんなに頑張ってもなかなかその努力が報われない人もいる。

違法なことをして生計を立てているストリートの若者が、初めから真っ当に生きることを諦めているわけではなく、実際は、教育の重要性に目覚め、人生をやり直そうと試行錯誤していることが多いのだ。

ただ彼らのそんな前向きな気持ちに真摯に向き合い、適切に導いてくれる人間が彼らの身近にいないということがある。また、低所得者層の人々のために作られたせっかくの教育制度や福祉制度も、なかなか当人たちの生活の中に浸透しづらい。

社会の大きな壁にぶつかり、挫折を改めて思い知った者たちはストリートに戻って来る。一方で、どんなに困難な状況にあっても夢を実現し、目標を達成できる者も実際にいる。

しかし、前者が「努力していない」、後者が「努力している」とは安易には言えない。

人間、誰でも「努力」は確かに必要だ。ただ、「努力」は自分がすることで、他人が評価することではない。まわりが自分をどう評価しようと、何度も何度も失敗しようと、結局は、諦めないこと、夢や目標に向かって努力し続けることが大切なのだと思う。

諦めたらそこで終わりだからだ。自分で自分の限界を作ってしまったら、それ以下にはなり得ても、決してそれ以上にはなり得ない。

しかし、努力し続けていれば、必ずそれ以上にはなれる。自分のゴールに少しは近付くことができる。