食事が喉を通らず、夜も眠れない日々が続いた。朝、家を出るのにかなりのエネルギーが必要だった。病院までの道のりは憂鬱だった。

日中は寝不足で頭がぼーっとしていた。しかし、いつまでもこうしてはいられない。

(誰に何と思われていても関係ない。自分のやるべきことをやろう)

「昨日はよく眠れましたか」
「いえ、あまり眠れませんでした」
「手術中は麻酔で眠れるから大丈夫ですよ」

僕も最近はあまり眠れていない。でも大丈夫。回診して患者さんと話をしているうちに気が紛れた。

患者さんはもっといろいろな不安を、それこそ僕の想像が及ばないような不安を抱えて入院し、手術の時を待っているのだ。気が重い状態は続いたが、なんとか折り合いをつけながら淡々と仕事をこなすことに集中した。

「◯◯さん、なかなか離床が進まないのでリハビリのオーダーを出そうと思うのですが、いかがでしょうか」
「〇〇さん、高度の糖尿病があるので、糖尿病内科に対診依頼しようと思うのですが、よろしいでしょうか」

間違っていようが、怒られようが、やるべきことは変わらない。気づいたことを報告し、自分なりの意見を言って、判断を仰ぐ。痛い目にあったことで、怒られたくないという邪念を頭の隅に追いやるようになり、考え方がシンプルになった。

一方で、かなり無理している自分もいた。もともと気が弱い僕は、先輩に話しかけるだけでも勇気がいった。最初は怖いもの知らずでどんどん質問できたためそれほど苦痛に感じなかったが、怖さを知った今はそうではない。1日に何度も先輩に相談しなければならないのは精神的負担が大きかった。つまり怒られたくないという邪念は、隅に追いやることはできても消すことはできなかったのだ。

僕はこの頃から、外科医を続けていくのは難しいかもしれないと感じ始めていた。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『孤独な子ドクター』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。