ペツオード先生とは東京音楽学校外国人教師で明治四十二年十二月来日、声楽、ピアノを担当した、ハンカ・ペッツオルト(一九六二~一九三七)のことである。

退任後は仏教に深く帰依した夫、ブルーノ・ペッツオルト(一八七三~一九四三)と共に日本に留まり、昭和十二年八月十八日永眠の年まで門弟の指導に当たった。(※2)

夫君が天台宗僧正の位を受けた関係から夫妻ともに比叡山紫明ヶ嶽の霊域に葬られている。

十 演奏活動と聴衆

研究科時代に音楽学校以外で行われた演奏活動のうち、新聞評などで紹介されたものを中心に二、三の音楽会を挙げる。

明治三十八年三月二十一日、神田青年会館(神田YMCA)

社交婦人音楽会

米田流星、竹内正輔、遠藤清子らが雑誌「社交婦人」の発行披露のため開いた音楽会で、東京音楽学校関係者が主体となって出演した。

当時在京の洋楽演奏会はいくつかの流派があり、なかでも音楽学校派が常にその主流で覇を握る感があった。

当夜はユンケル(バイオリン)、ハイドリッヒ(ピアノ)の外人教師、助教授の神戸絢子(ピアノ)それに歌は卒業生の吉川やま、藤井環、外山国彦が出演した。環の独唱はモーツアルトの「フィガロ」とあるだけであるがアリアやカヴァテイナではなく春季音楽演奏会同様にカンツオーネであろう。

吉川やまとの二部合唱(二重唱)はルビンスタインの十二の二重唱曲から「夜の歌」を選んでいる。吉川やまは環の一年先輩である。明治三十六年七月《オルフォイス》初演ではエウリディーチェを環が、オルフォイスをアルトの吉川が演じて好評を博している。二人はよき声友で、吉川は戸倉と改姓、白百合高女で教鞭をとった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。