十二月五日 襲国 熊襲の八十梟師 市鹿文を火の国造にした。
十三年夏五月 既に六年御刀媛(みはかしひめ)を召して妃にした。「豊国別皇子」を産む(日向国造の始祖)。
十七年三月十二日 子湯の縣に遊ぶ。「この国は日の出る方に向いている、名付けて『日向』」と言う。
十八年夏四月 熊縣(くまのあがた)に到り、その所に熊津彦という者有り、兄弟とも征敗する。
五月に葦北より船で、火の国に到る。遥かに火の光が見ゆ。
天皇はその国を名付けて「火の国」と言う。不知火のこと。
肥前国(佐賀と長崎)と肥後国(熊本)を巡幸した。
六月 高来縣から玉杵名邑に渡り、土蜘蛛津ツラを殺し、その後阿蘇国に到り、阿蘇都彦・阿蘇都媛に会う。
秋七月 筑紫後国(ちくしのみちのしりのくに)の御木(みけ)に到り、高田の行宮(かりのみや)に居た。
天皇は「これ何の木だ」と聞いた。老父曰く「クヌギの木です。この木の大きさは、朝日の光が杵島山を隠し、夕日は阿蘇山を隠した」
天皇は「この国は御木国と呼べ」とのたまふ。
そして八女縣に到着。水沼縣主(みぬまのあがたぬし)猿大海曰く「あの山には女神(ひめかみ)がいます」。それ故、八女国の由来と言う。
八月 天皇は的邑(いくはのむら)(生葉)到りて、食事を。膳夫(かしわで)が酒杯を忘れ、その盞(さかづき)(「うき」ともいう)を忘れし所は名付けて「浮羽」と言う。的(いくは)(生葉)と言うのは、訛った言葉なり。昔筑紫の人は盞を名付けて、「浮羽」と言った。
(『日本書紀』(巻第七)岩波文庫66〜82ページの現代訳より抜粋引用)

この物語は何かを暗示して、書かれたものと考え、この物語に出てきた国々を当てはめた。

比定地について

その他一部学説による比定地を参考とした。