邪馬台国ははたして一国として存在していたのか

『魏志倭人伝』の分析

邪馬台国という大きな連合体の中心がどこにあったか示している

『魏志倭人伝』が記載している女王國の国々

對海国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、ここまでの国々は正確に確認されている。

八カ国の官職名

対馬国
大官は卑狗(ひこ)
副官 卑奴母離(ひなもり)(ひなは田舎、地方、もりは守る。万葉集にある防人(さきもり)か。『日本書紀』景行条に地名と人名の夷守(ひなもり)が見える)

壱岐国
大官は卑狗
副官 卑奴母離

末盧国 官職は書かれていない。

伊都国 大官は爾支(にし)(にき)
副官 (1)泄謨觚(せまこ)
   (2)柄渠觚(へなこ)

奴国
大官は兕馬觚(しまこ)
副官 卑奴母離(ひなもり)

不彌国
大官は多模(たも)
副官 卑奴母離

投馬国
大官は彌彌(みみ)
副官 彌彌那利(みみなり)
宮崎県に同音の美々津、耳川(写真)の地名が残る。

邪馬台国
女王 卑弥呼
大官は伊支馬(いきま)
大官は彌馬升(みます)
大官は彌馬獲支(みまかき)
大官は奴桂鞮(なかて)
女王の下に、四人の大官の名前が連なり、国の形態は連合国と思われる。

[写真]宮崎県耳川の河口・美々津港(筆者撮影)

それぞれの大官の国の予測

次のように考えられる。

「伊」は旧豊後国国東郡の伊美郷
「彌」が付く地名が二国有り、一つは旧長門国の美祢郡で、もう一つは旧豊前国の上毛郡の毛(みけ)
「奴」桂(なか)は旧豊前国の仲津郡の中臣郷

戸数

戸数すなわち家の数を各国別に列挙する。

対馬国 約一千戸 一つの島の戸数
壱岐国 三千戸 一つの島の軒数
末盧国 四千戸 一つの陸の大郡の規模
伊都国 約一千戸 代々王様がいた
奴国 二万戸 博多平野に位置する
不彌国 一千余家 奴国の隣接の郡
投馬国 五万戸 西都原で、日向国の全郡
邪馬台国 七万戸 豊前国、豊後国、長門国、周防国(四カ国で構成)