ライジング・スター

文章スキル、この実技的な言葉に少し戸惑いを覚えた。

「そう。サークルコンペの評価基準は、あくまで文学的クオリティの高さだった。文体の美しさ、レトリックや比喩の巧みさ、とかね。彼はそういう評価を求めていなかったけれど、批評を受けることで自然に文章のスキルを磨いていたと思うの。それに加えて他のメンバーのスキルを吸収していたのね。特にあなたの作品から」

「俺の?  川島が俺の作品にそう興味があったとは思えないけど」

「そんなことはないわよ。実際、彼の受賞作、『由美。嗚呼なんと喧(かまびす)しい存在』では、サークルの頃の彼の文体とはかなり変わっていた。例えばヒロインの『由美』が初めて『僕』の前に姿を現す件(くだり)で、

『突然、光が射してきた。ただ、その光線は物理の法則に従って直進することなく複雑に屈折し、曲がりくねりながら背後に廻り、包み込んだ。まるで僕を呪縛する蜘蛛の糸のように』

という表現があるわね。サークル時代の川島くんだったらあんな修辞技法は使えなかった。以前だったら、そうね、もっとシンプルに『初めて由美を見たとたん、僕はそのオーラに包み込まれそうになった』てな具合かしら」

「確かに川島の文体はサークルの頃とは変化したと感じている。とは言ってもあえて俺を意識しているとは思えないが」

「あなた自身には気づきにくいかもね。でも客観的にみて、かなり取り入れているわ。レトリックの技法はあなたの作品の特徴だったもの。時々、あまり多用し過ぎて文章全体が回りくどくなることもあったけど。まあ別に、川島くんが気に入った技法を自作に取り入れることは盗作というわけではないし、文章スキルの向上には必要なことだから」

ここで理津子はグリーンアラスカを注文した。確か見た目は美しいエメラルドグリーンだが、結構刺激が強く、くせのあるカクテルだ。何かに「気の強いインテリ女が好むカクテル」と書いてあった気がする。

「いずれにしても、それは川島の進化の証ということだろう」

「そう思うしかないわね。彼は受賞するための近道を模索していたのよ。そのためには芸術性を高める必要があった。元来エンタメ性ではずば抜けていた。でもそれだけでは受賞には不十分と考えたのね」

「それで、あちこちに修辞技法を散りばめたということか」

「そう思うわ。川島くんにとって芸術性は悩むべき思索の問題ではなく、技法の問題なのよ。例えれば、作品に化粧を施して見栄えを良くするメイクアップアーチストのような」

「それって」
もし川島がそう考えているなら、軽蔑に値すると思った。

「そう。芹生くんのような芸術至上主義者には受け入れ難いことね。でも川島くんの考えにも一理あるわ。いくら心血を注いで書き上げた作品でも、読まれなければ結局はプロの作家として成り立たないから」

理津子の言葉は、俺が最も耳にしたくない言葉だが最も耳にしなければならない言葉かもしれない。彼女は続けた。

「彼は自分の作品が広く読まれるためには、もちろん作品の出来栄(できばえ)があっての話だけれど、それなりの文学賞を受賞することが近道だと考えたのね。そのためには芸術性を担保しなければならない。そう、作品に化粧を施す必要があったということね」

理津子の分析は、サークル時代と変わらず明快で説得力がある。だが、今の俺はまだそれをすんなり受け入れるほどプライドを失ってはいない。グラスの残りを一気に飲み干し、二杯目を注文した。

「そうだとしても、あの作品で芸術性が充分に担保されているとは思えない。審査委員の審美眼も当てにならないよ」

「審査委員の審美眼云々は分からないけど、芸術性が担保されていないというのは指摘のとおりね。まだまだ不十分よ。でも芸術的な作品、いわゆる純文学と、エンターテインメントを重視した大衆文学で明確な線引きはできるのかしら。時代とともに変わるかもしれないし、普遍的ではないと思う」

島崎も同じことを言っていた。だとしたら、自分が目指している世界はこの時代にマッチしていないということか。

「いろいろ話したけれど、それはあくまで川島くんに対するわたしなりの評価。芹生くんは芹生くんの道を貫いて欲しい。わたしの率直な好みで言えば、あなたの作品は、口当たりは難しいけど後になって上質な香りがする芸術よ。ちょうどこのカクテルのようにね」

理津子はそう言ってグリーンアラスカを口に運んだ。俺も理津子と同じカクテルを飲みたくなった。

「マスター、すいません。これと同じやつを僕にもください」
「グリーンアラスカですね」
「あ、はい。それです」

艶やかな半透明のエメラルド色の液体が出された。口をつけたとたん、その刺激で思わず窄(すぼ)まった口内でその液体を滞留させた。以前飲んだ感触と同じだ。やはりグリーンアラスカは、カクテル初心者にとっては難解だ。