「いかがですか?」
マスターが訊いてきた。
「刺激が……。カクテルに疎い僕にとっては、ちょっとハードルが高いですね」

「シャルトリューズが結構強いので。理津子さんのように女性で飲む方は少ないですね。でも、じっくり味わうとはまりますよ」

「まさにあなたの作品を彷彿とさせるでしょう」
理津子が、待ってましたとばかり口をはさんだ。

「どうだろうか。自分自身では分からない」
それは率直な気持ちだった。

「このグリーンアラスカは、見た目の美しさからは想像ができない激しさがある。でも飲み続けると至高の香りが口に広がるの。芹生くんの作品も、しっかりと読み切れば卓越した文章の美しさを感じることができるのに、読み始めからそこに辿たどり着くまでに近寄りがたい気難しさを感じさせる。まるで『理解できない方はご遠慮ください』とでも言っているかのように。それを我慢して読み続けると、ようやく深い味わいが分かる。でも多くは残念ながら脱落すると思うわ。このカクテルのように」

「喜んでいいのかな」

「微妙なところね。結局、プロの作家としてやっていくためには、あなたの作品が広く受け入れられなければならないからね。だって考えてごらん。本の値段は作家や作品によって差がつかないし、原稿料だって芸術的作品にせよラノベにせよ基本は原稿枚数ベースでしょ。それが絵画や彫刻、陶芸だったら作家や作品によって下手すりゃ何万倍も値段に差がつく。つまるところ小説は量を捌(さば)かなければならない芸術なのよ」

「現実的なんだな」
「的じゃなくて現実」

俺はややいたたまれない気持ちになってグリーンアラスカを口にした。特異な刺激がさらに舌を刺す。

「初めてあなたの作品に触れた読者がどこまで理解するか、その最初のハードルが高過ぎるのよ。まさにそのカクテルを口にした瞬間のようにね」

「口当たりを良くしろということか」

「でも、それをしたら芹生くんが芹生くんでなくなる。至高の苦みを持つ珈琲に砂糖をどっさり入れたら台無しでしょ。口当たりの良さは川島くんに任せて、あなたはあなたの道を貫くべきよ」

「勝手だな」

「勝手じゃなくてすごく勝手。無責任な言い方かもしれないけど、そういう小説家が一人ぐらい現代にいてもいいじゃない」

言うまでもなく文体の美しさにはこだわりがある。文章が難解になっても、自分自身が満足する作品を目指していた。そこに読み手を意識することはなかった。応募作が入選しなくても、審査委員の目が節穴くらいにしか思わなかった。……川島の受賞までは。でも、理津子の指摘で、このところ揺らいでいた自分の作品に対するこだわりを、もう一度見つめ直したくなった。

「マスター。グリーンアラスカをもう一杯ください」

俺は二杯目のグリーンアラスカを注文した。
口にしたそのカクテルは、相変わらずくせのある刺激を口に残した。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『流行作家』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。