その七 家族病

彼が膵炎で十数回入院を繰り返したことについて綴ります。

⑩もう一つ気になること

その子供たちのことです。

私は子供の頃から花や自然の美しさに素直に心を動かしていましたが、この頃には、そのゆとりはなくなっていたように思います。

長男は自然や花や景色には全く心を動かしません。感ずる心をなくしてしまったのではないかと、心冷える思いがする程です。

思い返すと、保育園の先生からも「お子さんは情緒不安定なところがあるのですが、お母さんは気がつきませんか」と言われていたのでした。小学校に入学した当時にも、先生から「席にじっと座っていられないのですが」と、ご注意をいただいていました。

子供たちへの心配りもできない母でした。

長男は気にいらないと不機嫌になります。父親の姿に非常によく似ています。子供たちのこの事実は、悲しいことに子供たちのことを思いやれないどころか、彼に対する防御反応、顔色ばかり見ることに終始していた母である私の姿により、作られてしまったのだと思うのです。

⑪酒害相談

「お前のために俺はダメになった。お前は俺に酒を飲ませ、俺を酒飲みにしただけじゃないか!」と言われるようになっていたのでした。

その頃の私のメモの中には、「父も弟も、そして夫も、また子供たちもダメにしてしまうのだろうか。怖い!」と書いていたのです。

昭和六十二年四月、連続飲酒中の出来事です。首を絞められたのです。「これでもう終われる」と抵抗しませんでした。逆らうことも考えられなくなっていました。「もういい、これで死ねるんだったら、それでいい」と、目を閉じてそのままにしていました。すーっと気が遠くなっていくのがわかります。一時わからなくなっていました。

そんな私の様子に慌てたのでしょうか、急に手の力を緩めたようでした。私はその場に倒れ込み、目は鬱血して真っ赤になっていました。眼科を受診しましたが、理由を聞かれても答えられません。言いようがないのです。

平成元年でした。何とかしなければという気持ちになっていました。