その七 家族病

⑫ プッツン

平成五年の春まだまだ浅い頃、初めての遠出の宿泊出張でした。「女のお前が何で行かなければならないんだ。課長に行かせろ、そんなに偉くなりたいのか!」と怒鳴るのです。

その時、そうせずにはいられない何かが、私の心の中に突き上げてきました。彼の反対する中を、私は出かけました。

一緒に出張した同僚と一日目の仕事を終え、ホテルに宿泊中の夜中三時過ぎのこと、突然電話がありました。「息子が怪我をした。すぐ帰れ!」と、直感的に「ウソ」とわかりました。出張を続けました。

彼の要求に初めて逆らい、「もうどうなってもいい」と開き直り、半ばやけになり「プッツン」(二十年前に流行った俗語で、頭の回線の糸がきれたような、常識を超えた行動や言動をするさま)した感じでの行動でした。

翌日夜九時過ぎに帰宅、玄関にはチェーンがかけられていました。いつものとおり、マンションの階段下の風のあたらないところで、家に入ることができるまで待機です。

その年の三月の終わり金曜日の夜に、職場の送別会がありました。今回の異動は私を含めて二名だけです。今までは夜の会合や飲み会等の付き合いは、自ら「出られない状況」を作り出していました。

その理由は複合的に介在します。一つ、母親は子供にとって大事な存在であり家を空けるべきではない。二つ、食事の支度はきちんとすべきという彼の考え方です。私自身もそうありたいと考えており、納得していました。

しかし、別の理由があるのです。依存症の悪化と共に症状の一つである「嫉妬妄想」が、強くなってきていました。

その一つの例ですが、「男女の関係は十五分あればできる」という言葉です。そう言って責められるのですから、帰って絡まれる方が、職場の義理を欠くよりも、私には辛かったのです。職場の人たちからは「変な人」と思われていました。

しかし、今回の送別会だけはさすがに断れませんでした。「九時には帰宅しますから」と断って出かけ、やっと送別会を一次会だけで切り上げ急いで帰りましたが、家の玄関前に着いた時、三分遅れてしまいました。また、チェーンがかけられていました。