第一章 留学の夢

初めての短期留学

あっという間に二週間の短期留学は終わりを迎え、いよいよ最終日となりました。最終日は我々より少し長く留学している生徒たちが、その成果を発表するために、簡単な英語の寸劇を行うこととなりました。

ステージのある体育館に全員が集合し、観劇を終えたあと、短期留学の修了者に終了証の授与式が行われました。名前を呼ばれた人はステージ上でサティフィケートを受け取るのです。

陽介の順番が来た時に私は一瞬誰か分からなかったのですが、陽介は毎日そう呼ばれていたのですぐに気が付きました。アメリカ人は英語のEをエ、ではなくイーと発音することが多いため、ヨウスキーと呼んだのです。

陽介がサティフィケートを受け取っている時に、MCが「彼は今回の短期留学生の中で最年少です」と言っていたのですが、続けて私が呼ばれた時、MCは、「彼は今回の短期留学生の中で最年長です」と言っていたのを聞いて、なんとも不思議な気がしました。

陽介が十三歳、私が五十七歳の時でした。

二度目の短期留学

陽介の二度目の短期留学は一度目の留学から一年後の中学三年の夏休みに行うことになりました。

この時は、留学を専門に斡旋している、東京・新宿にあるAという留学エージェントと、数か月前から綿密な打ち合わせをして、陽介が実際に来年入学を目指している学校のカリキュラムに、下見を兼ねて参加をした方がいいとの結論になりました。

場所は南カリフォルニアのオレンジカウンティの中でもかなりの難関であるフェアモント・プレパレートリー・アカデミーというハイスクールで、ここでの一か月の短期留学カリキュラムに参加することとなりました。

フェアモント・プレパレートリー・アカデミーの前で

この学校はアナハイムにあり、もともとモールの中にあったブランド品を扱うショッピングセンターを学校に改築したので、あとから作った体育館や一部二階建てのオフィス以外のほとんどが平屋つくりの贅沢でとてもファッショナブルな校舎でした。

そしてこの学校の創立が、一九五三年と、私と同じ年であることが、偶然とはいえある種の運命を感じたのでした。この短期留学にも私は同行しましたが、このコースは入学を前提としたコースのため陽介のみが入り、私はアーヴァインという町にあるLASCという一般の人向けの語学学校の一か月コースに入ることとなりました。

成田を発ってLAXに到着してからすぐに、空港で今回もHertzでレンタカーを借り、宿へと向かいました。途中のフリーウェイで大渋滞に巻き込まれ、その原因の車を見た時に唖然としました。