第一章 東京 赤い車の女

「なんちゃってね」と彼女は続けて、僕をまっすぐに見た。鼻の根元に少しだけ小さな皺を寄せて嬉しそうに微笑む。彼女がこっちを向いているので、「金沢で何してるの?」と訊いてみた。

「金沢大学の国文科で言語学を。三回生よ。小説にも興味あるけど、それじゃ食べていけないものね」と言ってストローに口をつけた。白いプラスチックの中を褐色の液体がツーっと上る。

そして、「教師にでもなるわ」と独り言のようにつぶやいた。

「教師にでも、って」と小柄な女性が言う。

「私は主婦をやってるけど、それこそ、仕方なくよ」

「ひょっとしてお母さん?」とユミが尋ねる。

「三人の子持ちよ、あなたたちの年頃からずっと。それがどういうことか、想像もつかないでしょ。教師にでも、って、それはないわ」と女性は言い、苦笑いのような表情を浮かべる。

初対面のただの挨拶のはずなのに、と僕はちょっと緊張する。「小生は」と、男が言葉を挟むように言った。僕はホッとして、この人、いい人かもしれないと思う。

「典型的な貧乏学生です」と、男は自己紹介を続ける。横浜の国立大学の経営学部二年生。両親が自営業で暮らしはぎりぎり、学費と生活費の一部を稼ぐため、少しでも割の良いアルバイトがあるとこうやって遠征してくるそうだ。最後に、「税理士になって親に楽をさせてあげたい」と言った。

「で、あなたは何者なの?」とリーダーが僕に矛先を向ける。僕は、自分が東京大学の一年生で、どうしても一人旅がしたい。経費を自分一人で稼ぐためにここにいると言った。

「そんなに一人旅がしたいの? どうして?」と、さらに彼女が訊いてくる。

アルバイトで集まっただけの者同士、挨拶以上の話があるとは思ってもいなかった僕は、一歩突っ込んだ質問をされて戸惑ってしまう。僕にはどうしても一人旅をしたい明確な理由があったが、それはこのような場面で説明することではなかった。

「ようやく受験戦争から離脱できたからね、思いっきり遊んでみたいんだ」と僕が言うと、ユミの目がそっと僕を見つめた。

「自分一人で稼ぎたいって、それ、ただの遊ぶ金でしょう」と小柄な女性が言う。空気がまた少し硬くなる。