まえがき

小学生の夏休みに、この道をずっと行けばどこに行けるのだろうという思いだけで、手にした自転車に乗って、小さな冒険を繰り返していた。

1人ではとても行けない様な遠いところでも、少しの勇気だけで自分を連れていってくれる自転車とは、正に頼りになる相棒と言える存在だった。

あれから半世紀近く経って、再び自転車を手にして日本一周の旅に出て、少年時代の夏休みの様な時間を過ごす事になるとは思いもよらなかった。だが、結局この頃に経験した自転車で見知らぬ遠いところへ行ったというある種の成功体験こそが、自身の人格形成の基盤となっており、この旅へ出る事は、もはや必然であったと、今では理解している。

それは17年前にロードバイクという自転車を久々に手にして以降、年間休日の8割強を自転車に乗って過ごす事となり、最終的にはブルべという長距離サイクリングの世界にどっぷりと浸かり、気が付けば年間20000km走っていた等、いつの間にか自転車が生涯のライフワークとなっていた事からも、明らかであった。

こうしている内に1日100kmであれば、毎日走り続けられる身体能力が自然と身に付いた事で、自転車での日本一周というものが身近なものへと変わり、夢を実現させるために必要なスキルがうっかり備わってしまった。

後はお金と時間を用意するだけであり、60歳の定年を1年前にしてうっかり退職してしまい、うっかり貯蓄も切り崩していたのであった。

使用するロードバイクは、太めのタイヤにディスクブレーキを装着する、長距離サイクリングには最適な1台を選定し、装備類もこれまでの経験値をフル動員して得たものをチョイスした。

そして行程だが、鍋釜テント一式を抱えて出発したら日本一周するまで帰ってこないという事ではなく、日本列島を5つのSTAGEに分けて、1日平均100kmを約4週間で走破出来るルートに設定し、各STAGEが終わるごとに一時帰宅する様にして、道中宿泊については、全てホテルや旅館を利用するというスタイルを取る事にした。

いくら自転車で鍛えてきたと言っても、還暦間近な一般的に言えば老体であり、宿泊費等の出費はかさむものの、走行中以外はしっかり身体を休められる環境を優先させた。

ルートについては、事前に1日100km前後となる行程だけ決めて、約1週間分の宿を予約しておき、後は走る前夜に地図でルートの詳細を確認するという、ぶっつけ本番的な手法を取った。

それにより、思わぬ事態に直面する事も多々あったが、今思えば、出来るだけ筋書きのないドラマ的な旅にしたいという意向は、十分踏まえられた。また海岸線を隈なく巡る事も、いろいろと限界があり、何を以て日本一周とするのかという基準を設けるため、47都道府県庁を訪れて、自転車と一緒に写真に収める事を通過証明とするコース設定とした。

こうして全ての準備が整った2月の下旬、まだ真冬の寒さが残る朝に埼玉の自宅を出発し、大人の夏休みの冒険が、うっかりと?幕を切ったのである。