しかし、いちばん深く考えたのは、「自分の親」のことだった。「今こうしてここにいられるのは、誰のおかげだろうか?」「この旅を最初から最後まで支えてくれたのは誰だっただろうか?」親は、そのようなことは口には出さない。

今、バスの中で、こうした思いが、私の心の大部分を占めた。資金的な援助の他に、精神的な支援は大きかった。このロッキーを見ながら、親の顔が浮かんでいたのだった。窓に映る自分の目に涙が溜まっているのを見た。私はしばらく泣いていた。家に帰ったら、「ありがとう。」と言おうと思った。

令和二年六月二十一日 著者より

著者紹介文

 それは、結果的には必然だったように思う。避けて通れなかったと言ってもいい。一つひとつに「どうにもならない」という気持ちがあったのだろうと思う。本のタイトルでも、「ロッキー山脈を越えて」としたように、いろいろなことはしてみたが、結局ここが一つの分岐点だったように思う。

「これをすれば金持ちになれる」とか、「これをすれば幸せになれる」とかいった気持ちで行動したつもりはなかった。こっちでもない、あっちでもない、と迷いながら、考えながら行動した。

それで、今果たして幸せなのかというと、「わたしは今、幸せです」とはっきりと自信を持って言えない。それは、いつも「どう生きるか」ばかりを考えているからなのではないかと思う。

「どう生きるか」という考えには、これで終わりということがない。いつもどこかで、誰かと比べている「相対的な幸せ」を求め続ける。いつも「自分」というものが中心にあるような気がする。

「自分=幸せ」という図式から脱却して、「他者=幸せ」を考えて生きていければ、少しはましな「絶対的な幸せ」に近づけるのではないかと思う。

今の気持ちをありのままに本のタイトルとした。これからも、心は「ロッキー山脈を越えて」生きていきたい。

【第1回から読む】【旅行記コンテスト大賞作】出発前夜に食べた寿司の味は今でも忘れていない…

本連載は今回で最終回です。