二、牛李の党争

「儂は宦官王守澄と李逢吉の陰謀だと確信している。企てが失敗したと分かると直ぐに揉み消し工作をやられた。ずる賢い奴らだけに証拠を掴(つか)めなかった」

「暗殺の真相解明を恐れた李逢吉らが、隠蔽のため白居易殿を都から追いやったのですから」

「白居易殿には恩義を感じている。気の毒なことをしてしまった」

「此度は私が成徳(せいとく)、廬龍(ろりゅう)の藩鎮を制圧し、牛党の奴らの鼻を明かしてみせます」

「儂も戦地へ赴き武元衡殿の恨みを晴らしたいが、この躰では足手まといになってしまう、李徳裕殿、必ずや戦果を上げて戻って来てくれ」

と、袖を捲って肩の傷を擦り見せた。

「必ず戦果を上げて帰ります。宰相は奸悪な李逢吉の動きを監視し、不穏な動きを封じて下さい」

「分かった。戦地に赴(おもむ)いても敵は前だけではなく後ろにもいる。身辺警護には怠りなきように、腹黒い李逢吉、どんな謀略を講じてくるか分からぬからな」

「宦官の動静にも注意を払い、藩鎮融和政策などと寝言を称える牛僧孺らを見返してやる所存です」

「穆宗も藩鎮を抑えねばと仰っている。われわれは唐のために戦っているのに、牛党の者どもは安穏と都で遊んでいる」

 

唐の官僚機構は複数の宰相を置くことで、権力の集中を防ぐ合議制であり、李逢吉も裵度も共に宰相の地位にあって反目していた。だが、この時期には、地方へ左遷されていた李宗閔も宰相の位にあり、藩鎮融和政策を支持する勢力が強かった。