はじめに

おじいちゃんは小さいときから、内気で引っ込み思案で、しかも変わった性格だった。3歳までほとんどしゃべらず、まわりの大人が大変心配した。同じ制服を強いられる幼稚園に行くのがとても嫌いで、しょっちゅう休んでいた。

暑い夏、皆が半ズボンのときにも、ひとり長ズボンで通園していた意地っ張りでもあった。幼稚園の黄色の帽子をかぶれ、かぶれと言われて、それならと風呂に入るときにもかぶっていた天邪鬼であった。母の実家で、背中を丸めて火鉢にあたっている曾おばあちゃんを見て「あ、梅干しばあさんだ」と悪態をつく悪戯小僧でもあった。両親は、こんなおじいちゃんを見て、どんな大人になるかとても心配だっただろう。

一方で、小学生の頃から、ひとりで庭のアリの巣と蜘蛛の巣を観察することや、3歳年下の妹といっしょに、飼猫と春と秋に生まれる子猫の世話をすることがなぜか好きであった。

そして、中学生になって、自分の学力がそれなりにあり、好きなことであれば何時間でも集中できることに気がつき始めてから、自分に対する考え方は少しずつ変わり始めた。単に変わった子どもではないんだと。

もちろん、嫌いなものにはまったくやる気が起こらなかったし、悪い方向に物事を考えてしまうネガティブ志向はそのままだったけれど、新しい外部環境にどんどん触れることによって、思わぬ一面が見え始めた。

中学生の頃から集中力を勉強に向け始めるようになり、結果として、大学、大学院まで進み、民間企業の研究者になって博士号を取得し、海外共同研究も経験して、数多くの製品を世の中に出すことができるようになるとは、当時は想像すらできなかった。

人生の大きな転機になったのは、社会人になって、さらに厳しい経験を積み重ねるなかで、自分の生き方に大きな特徴があることに気がついたときだった。他人の否定的な言葉に逆に発奮し、あえて難しい道を選択してしまうことだ。

心理学では、この反抗心のことを「心理的リアクタンス」というけれど、自分のことは自分で決めたいという気持ちが人一倍強いようだ。おじいちゃんの人生をひとことでいうと、他人からの否定で「発奮スイッチ」が入り、自分の考える方向にどんどんと突き進んでしまい、大変な思いをしながら、人生の思い出をたくさん増やしていったといえるだろう。

確かに、嬉しかったことだけではない。悔しかったこと、悲しかったことのほうがいっぱい詰まっている。しかし、一方で、苦しみながらも、世の中に貢献する製品を何度も市場に投入することができ、おじいちゃんの大きな誇りとなっている。

でも、そんなおじいちゃんの行動を見て、もっと人のいうことを聞いて卒なく生きる、すなわちもっと「器用に」生きればよいのにと思う人たちもまわりにはたくさんいたことも確かだ。

しかし、周囲に迎合して、嫌いなことをいやいや行いながら生きる日々は自分をからっぽの人間にするだけだ。そして、経験したこともないような気だるさを感じて仕事に対する意欲がなくなってしまう。自ら決断した結果としての喜怒哀楽の思い出がたくさん詰まった人生、これもまた楽しからずやといったところだろうか。

そして、会社を新たに興したおかげで、新たな仲間たちと仕事をすることができ、ますます、君たちに話せる思い出は増えそうだ。さて、「坂入  実(さかいり みのる)」というおじいちゃんの昔話を始めようか。