(三)

シュリンクは石の並べ方がわるいとハンツに叱言を言っていたのを止め、保に手をふって「捕虜さ。ニッチェボー(*」と言った。

午睡から帰って来た山下軍医に保が事の次第を話すと

「こいつはいかんわい。身の廻りを片附けるか」

と作業隊が軍歌を高らかに歌い門を入って来又ぞろぞろと患者も訪れるであろうのにあわただしく六病棟の軍医室へ帰って行った。

捕虜の行進は思い思いの手に円匙(えんぴ)、鶴嘴を持ち、隊伍も整わず作業場へ行く時はそれこそ牛の歩みより遅く帰る時は一緒に着いて行けず途中で気絶する者が出る位の猛烈な速度なので警戒兵が軍歌を歌わせる事にしたのである。

保は今夜は読み書きも止め、明日のG・P・Uへの返答要領を考え乍ら早々にベッドにもぐり込んだ。十二時すぎ医務室の扉をたたくものがある。ぎくりとした保はとび起きた。カラカンダから自動車が到着すれば夜中にでも炭坑へ送られる事があるのだ。

「作業隊の者ですが田島が苦しがってますからすぐ来て呉れませんか」。

田島、つい二日前今迄治療も受けなかった左の中指の凍傷が黒く腐り第一関節から上を切断するのにメスの刃がこぼれていて如何にもならず鋏で千切ったが第二関節まで毒は廻っており嫌がる田島を無理に説き伏せて第二関節も切り落した凍傷患者だ。

むっと人いきれが鼻につく作業隊バラックの中をケロ芯の光を頼りにブローム加里の瓶を持ってゆくと着のみ着のままで毛布の上に起き直った顔も洗っておらぬ田島の姿が醜く浮び上った。

「如何したんだ。え」

「痛んで痛んで寝られないんです」。

黙って差出す左手の前膊までが熱っぽく腫れ上っている。田島の顔を正視できない。

「明日すぐ入院しよう。之は鎮静剤だ。明日まで我慢しろよ」

不寝番のかゝげたケロ芯の光りにゆらぐ田島は黙って頭を下げた。頭上に怒る様に星が冷く瞬いている。睫毛や鼻毛がねばつく。失敗だったのだ。

軍医の言うまゝアルコール消毒丈でコカインを注射した注射器から指の附根に黴菌が入ったに違いない。何故煮沸消毒しますと反対しなかったのか。あの時は忙しかったろうか。いや夫れは理由にはならぬ。だらしなく自分の凍傷をなおざりにしていた田島が憎かったからか。

ルーマニア人の火の番が大きな斧を腰にして橋を渡ってゆく。冷くなった軀を毛布に包んだが隣室のブルンクの高鼾、G・P・U将校、田島のゆがんだ顔、保は夜明までベッドの中で輾轉(ごろごろ)した。

翌朝作業隊が食堂を出る後を追いかける様に作業隊バラックへ行き田島を抱えて六病棟へ連れ入った。

ふるえる田島の手の繃帯を取るとコカイン注射の四ケ所の附根の穴がすっかり化膿し異様に拡がっている。滅菌ガーゼを差込んだ野田軍医は反対側の穴からそのガーゼを抜き出した。