【前回の記事を読む】怒るととても怖かった父。目を三角にして怒った父の顔が今でも忘れられない…。

2章 家族 ~私を支えてくれた人たち~

朝昼晩の宴会

食卓は繊細な料理は少なく大皿の食べ物がメインだった。献立を考えるのも大変だったのか「何が食べたい?」と聞かれるので「カレー」「餃子」「お肉」のローテーションで答えると、「いつも同じね」と言われた。

鍋物や汁にも具がたくさん入っていた。近所に元調理人という通称「じいちゃん」がいた。じいちゃんが作る北海道の料理「三平汁」という鮭の頭で出汁を取る鍋料理が美味しくて好きだった。苦手な魚でもじいちゃんの作るものは美味しく食べられた。

母親も真似をして作るが「じいちゃんみたいに汁が透き通らない、白く濁ってしまうのよ」と悩んでいた。じいちゃんの作る三平汁は生臭くないので具のじゃが芋がとても美味しい。

母親が作るものとは確かに違うと子ども心にも感じていた。具材の一つ一つの下ごしらえをしていたんだと思う。料理のひと手間をするとしないとでは、出来上がりにハッキリと差が出る。

食事中はテレビもみんなで見ていたし、何をするにも大勢でにぎやかだった。宴会好きな父は休日に人を招いていた。盛り上がるとみんなで歌い出し、郷土の歌もたくさん聞き、歌集なども家にあったので自然と覚えた。

ドンパン節のフレーズで「となりの親父はハゲ頭~」と大声で歌うおばさんがいた。母親が歌う「秋田音頭」は何度も聞かされたので覚えてしまい今でも空で歌える。小さい頃に覚えたことは忘れない。当時はカラオケがないので、手拍子や合いの手で盛り上がった古き良き時代であった。

常に大勢の中だったが年末には皆が帰省をするので、大晦日は家族水入らずで過ごす時間があり好きだった。

伝説の焼きうどん

私は三人姉弟の真ん中で姉は2歳上で弟は10歳下、姉と弟は12歳離れているので同じ干支となる。

小4の夏休み(10歳)に弟が生まれたが、9月の新学期が始まり「夏休みに楽しかったこと」を聞かれ「弟が産まれたことです」と大きな声で答えると、先生が「そうかそうか」と目を細めうなずいていた表情を鮮明に覚えている。