【前回の記事を読む】万引き犯を捕まえた後の対応に悩んだ警備員時代。拭う事ができなかった疑問と心残り

序章 我がへんろ旅、発心の記――88(パッパッ)の時間帯で得た喜び

五 般若心経を杖に歩いた88の時間帯

そんな中、いつの頃からか、これだけは大切にしようと自らに言い聞かせたのが、相手に対して「自分は犯罪者だ」という気持ちを持たせないという点でした。

人は一度でも犯罪者意識を持ってしまうと、それ自体が重荷になり、かえって立ち直りを妨げる事になるのではないか ――そうした思いから、何とかして罪の意識に対するより良いケアをしていきたいと、様々な本を読み、思い悩む中で最後に出会ったのが仏典の教え、とりわけ般若心経だったのです。

彼らと私との出会いは、表面だけを見ればけっして喜ばしいものではないけれど、それを善き縁にする事ができるのではないだろうか? 自分が仏の様な心を持って相手に接せられれば、無用の犯罪者意識を植え付ける事なく、やった事に向き合い、それをきちんと乗り越えていってもらえるのではないか? それにはまず、私自身が自分の心としっかり対峙し、心の物差しを持たなければならない。

そんな気持ちをきっかけに、当時は心経に関する色々な解説書を読んだり、もちろん原典を繰り返し唱えたり、これでもかこれでもかと写経をしたり、座禅道場に通ったりしました。

本書でも後ほどご紹介する、松原泰道師の『般若心経入門』(祥伝社)や金岡秀友師の御著書の色々と出会ったのもその頃の事です。

それらの本からは深く広い教えを得る事ができましたが、頭では十分に理解したつもりでも、どこか掴みきれないもやもやした思いが残り、その後も折に触れて心経について考える年月が続きました。

そして、その忸怩たる思いが、先ほど書いた様に八十八カ所のへんろ旅を決意した時、大きな目標として浮かび上がってきたのです。それを思うと、滋賀の山中での熊との遭遇、そこで浮かんだ観音菩薩の御姿も一つの導きだったような気がしてなりません。

経文を唱えたり、解説を読んだだけでわからないのなら、自分らしく体を動かし、その中で新たな発見をしてみよう! なる様にしかならない! とにかく実行あるのみ!と、かつてお大師様がされた様に、ひたすら歩きながら考える事にしました。