はじめに

小児科医になって、いつの間にか半世紀が過ぎました。一臨床医として、小児科全般を診てきましたが、特に新生児・未熟児に関心を持って、診療にまた研修医の教育に携わってきました。

駆け出しの頃、新生児領域は小児科分野の中でもマイナーで、1,000グラム未満の未熟児は救命できるのが稀でした。

現在、日本の新生児医療は世界のトップレベルにあり、 500~1,000グラムの児の生存率は 90%を超える驚異的なものです。ここに至るまでに、新生児医療の先達の業績を受け継ぎ、多くの小児科医が昼夜を分かたず、新生児の診療に努めてきました。現在、新生児ICUが全国的に整備され、日本で生まれた赤ちゃんはどの地域にいても、世界最高レベルの医療を受けることができます。

現役時代は小さな命を助け、その子たちが健康な小児期を送ることが、最大の関心事でした。中には障害を残し、施設で養育される子どもたちもいますが、子どもが持つ成長発達の力を最大限に引き出すよう、小児科医は努力してきました。

診療の第一線を退き、管理職になった頃、それまでに私が考えていた新生児医療に新たな視点をもたらす学説が発表されました。それは、イギリスの著名な疫学者バーカー博士(David J.P. Barker)が提唱した「成人病胎児期起源説(Fetal Origins of Adult Disease)」です。

心筋梗塞、高血圧などで死亡した人々の中には、妊娠中の母親の栄養状態が悪く、低体重で生まれた者が多いことを詳細な疫学調査で明らかにし、胎児期の低栄養などのストレスが、成人後の病気をもたらすという衝撃的な学説でした。

これは後に概念が拡大され、胎児期のみならず、出生後の成育環境も影響することがわかり、今日、DOHaD(ドーハッド)学説(Developmental Origins of Health and Disease)として確立されています。多くの未熟児を診てきた私は、子ども時代の発育をフォローして責任を果たしたと満足していましたが、この子たちが60代~70代になって、心筋梗塞や高血圧、糖尿病などを発症するかもしれないということを知り生涯にわたる健康管理について考えるようになりました。

生まれ出ずる新生児は、無垢の状態で私たちの目の前に現れるのではなく、すでに子宮内という成育環境で、あるものは困難にあって早産児となり、また、あるものは将来の生活習慣病のリスク因子を獲得しているのです。

バーカー博士は、その著書『The Best Start in Life』の中で、母親が健康で十分な栄養と休息をとって、健康な赤ちゃんを生むことにより、その子は「人生最良のスタート」を切り、健康な将来を約束されると述べています。

私は、どのような新生児であっても生まれた時から、その救命に努めるのが小児科医の使命だと考えていました。しかし、DOHaD学説を知った今、母親の健康、いや、母親になる前の女性の健康とそれに影響を及ぼす問題を考えることが、小児科医の使命と思うようになりました。