はじめに

私の名前はパーディ恵美子。

旧姓・宮坂恵美子。昭和26年(1951年)8月16日に、埼玉県川越市で生まれた。

父親は米菓製造業、所謂お煎餅屋(宮坂米菓株式会社)を営み、母親は父の事業の手伝いをしていた。私がこの自伝を書こうと思ったのは、いつ認知症になってもおかしくない歳になった今、私の人生に起こった興味深い事柄を書き残しておきたいと思ったからだ。

私は、小学校高学年の時に見た世界の様々な国を紹介するテレビ番組に刺激され、将来外交官になりたいと考えるようになった。

高校時代の終わりに交換留学生として1年間アメリカに留学。

その後日本に戻った私だが、イスラエルのキブツを紹介する本を読み、その生活スタイルに興味を持ったことをきっかけに、イスラエルのキブツでボランティアワーカーとして働くことになる。

イスラエルから帰国する途中、スイス、イタリア、イギリス、アイルランド、香港に立ち寄って旅行する。この頃、アメリカの大学に進学しようと決心し、その費用を貯める為に南アフリカ航空のフライトアテンダントとして働く。

その後、ボストン大学に入学し、卒業後は首都ワシントンにある小さな翻訳・通訳会社に入社。そこで貿易交渉の通訳を務めたことを機に貿易交渉をする役人になることを決意し、メリーランド大学の大学院に入学する。そして大学院で修士号を得た後、アメリカ農務省の農業経済専門家としてキャリアをスタートした。

その後、農務省の外交試験を受け合格。外交官になった私は、香港、東京、ワシントン(アメリカ)、大阪、マニラ(フィリピン)、リマ(ペルー)に滞在し2014年12月に退職した。

退職後は、ヨーロッパや日本で長距離自転車旅行をしたり、趣味の麻雀やピアノ、ヨガを楽しんでいる。