現代社会の病

解剖といえば思い出す話がある。あるそのような仕事についていた助手の生人から聞いた話であるが、臓器を順番に取り除き、空洞になってゆく人体の腹に溜まった血液をオタマですくい、ボウルに入れていたという。一体自分は何をやらされているのだろうかと思ったという。たった、四十年ほど前の話である。昔といえば昔だが、何が何だかわからないような不気味な光景に思わず笑ってしまった。

詐欺メールも毎日のように来る。

「百万円当たりました」

「ワタクシには五百万円を使いきれないのであなたに譲渡します」

「八百八十八万円、いらないんですか?」

なぜ、赤の他人にお金をもらう筋合いがあるのだろうか。五百万円は一日で使えるだろうよ。持ってるなら自分で使え。いらねーよ。バカバカしすぎる。こんなメールに興味や関心を惹かれ、URLを開く生人がいるのだろう。金は働かなくてはもらえないんだよ。働く場所もないかー。

昔、不便には謎の夢があったような気がしている。いや、現代の不便が不便などと思わなかった頃は楽しかった。現代の当たり前が当たり前じゃない頃、生人は自分で考え、自分で探し、自分で目標を見つけて突き進めた。小さな生人、若い生人に夢を与えられる時代がまたぜひ来てもらいたい。