【前回の記事を読む】羊頭狗肉とは言えないが…当時の風俗を描く『当世書生気質』の問題点

第一章 日本近代文学の出発点に存在した学校と学歴――東京大学卒の坪内逍遙と東京外国語学校中退の二葉亭四迷

第一節 坪内逍遙

■『当世書生気質』の限界

こうした、アルバイトに翻訳を出したり私立学校で教えたりといった描写を見ると、この学生たちは作者・坪内逍遙の出た東京大学に通っているのではと考えたくなるのですが(実際、逍遙は明治一四、五年には東京大学の学生でした)、設定上はそうではないということになっています。逍遙は第三回の最後に添え書きをして、以下のように述べています。

本篇中に写しいだせる書生の如きは(おおむ)ね書生界の上流を占るものなり。故にその語らうところもやや高尚なるところありて、今日市中を渡りあるくガラクタ書生とは(おおい)に異なり。勿論左様の書生輩は官立大学の学生に多く、私塾の生徒には稀なるものなり。私塾の書生輩の情態の如きは陋猥(ろうわい)にして野卑、(ほとん)ど写しいだすに忍びざるものあり。故に余は故意に上流の風儀を写しぬ。

また、第十六回では学生同士の会話で「〔我が校も〕東京大学にならってboat-race(競舟)でもはじめればいい」などという話題が出て、つまりこの学校は東京大学ではないと暗に語っています。第十一回には「入塾」という表現もあって、私立学校という設定なのです。

そもそも、作品の時代設定である明治一四、五年に「官立(国立)大学」といったら、逍遙の出た東京大学しかありませんでした。といって私立の大学があったわけでもありません。現在の東京で有力大学とされる一橋大や東工大、慶應や早稲田は、この時点では大学ではありませんでした(後述)。

いずれにせよ、この時期の東京には私立学校は少なからずあったものの、東京大学以外に大学はなかったのです。また「私塾」の学生には「とにかく東京に出れば」という意識の者も多く、逍遙の言うように勉学はそっちのけで遊び呆ける場合も珍しくなかったと天野郁夫は『学歴の社会史』で指摘しています。

さらに、のちに早稲田大学となる東京専門学校は明治一五年の開校ですが、その広告に「本校は修業の速成を旨」とするとし、帝国大学(及びその予備門)とは異なり「邦語を以て我が子弟を教授する」方針をとっていました。つまり英語などの外国語ではなく日本語ですぐ知識が身につくようにするのが本校です、というわけですね。これは東京専門学校だけでなく、当時の東京で私立学校の大部分がとっていた方針でもあったのです。

逆に言えば、『当世書生気質』に登場する書生がともかくも外国の学者や作家、英題の書物などにひんぱんに言及するのは、外国語での教育が建前である「官立大学」、つまり東京大学の学生を念頭においているからなのです。実際、逍遙が学んだのは東京大学ですから、「書生」を描こうとすればどうしてもそうなります。

その点で『当世書生気質』は矛盾していたのです。逍遙自身が学んだ東京大学の学生を写しながら、作中では私塾ということにしているわけですから。