【前回の記事を読む】父親に「健全に育てられなかった」子供たちの十数年後の姿とは

第二条「形を求めすぎない」

無行青年

私はB介君のような子を「無行(むこう)青年(せいねん)」と呼んでいる。彼が、再び引きこもるようになってからしばらくすると、Bさんは私の電話に出なくなり、手紙にも返事をくれなくなった。

Bさん夫婦のように、自分の耳に痛いことを言う人や、自分の得にならない人や自分が必要でない人を無視したり、離れてゆく人は少なくない。しかし、人間は、自分自身から逃げることはできない。

他者からは逃げられる。現実に目を背けることもできる。しかし、それは、一時の事で物事の本当の解決にはならないのである。逃げようとしても、やがては以前よりも厳しい形で背負わざるをえないのが人生の鉄則なのではないだろうか。

苦難の「原因」を見ない人たち

常に現れてくる人生の様々な苦難。子育てについても「一時(いっとき)の安心」のあとに「次なる不安」が表れ、さらには、「安心だった子」が「心配な子」に成ったり、親の苦労がつきることはない。

それだからこそ、その「根本」というものを見つめつづけ、「問題」には「その原因」があり、その原因が自分に在ると分かったなら、自分を変えてゆかなければならないのである。

ここに述べたBさん夫婦は、極端な人たちである。その自己中心とその頑固さは、かなり強固だった。しかしながら、その極端の中に、普遍性を伴った部分もあると思い、私は、ここに一例として記し続けたのである。