希望

仁美は、東京の大学に進学した。大学時代の3枚目の写真の表情は、晴ればれとしていて、明るい未来に向かって輝いているようである。仁美は、大学卒業後、管理栄養士として、大阪市内にある某大手企業に入社した。どんな人にも分けへだてなく丁寧に接する仁美に、好感を持つ社員が少なくなかった。また、仁美の柔らかい笑顔とテキパキとした仕事ぶりは、社内でも評判となった。

仁美は、社宅に住んでいた。同じ社宅に住む若い社員達は仁美の部屋をよく訪れた。読書が趣味である仁美は、島崎藤村の『小諸なる古城のほとり』や、北原白秋の『落葉松』等、美しい詩の一節を諳んじては、社員達を楽しませた。

仁美は、お琴を習い始めてますます充実した日々を送っていたが、結婚への憧れは強く、母への手紙に、そのことがしたためられている。

ほどなくして、お琴の先生の紹介で佑輔と結婚したのである。4枚目の写真には、佑輔、仁美、二人の娘の、史香、華歩が笑顔で写っている。史香6歳、華歩3歳の春の一コマである。そこには確かに幸せな家族が存在しているのである。

絶望―失われる絆

仁美は結婚後に、初めて重大な局面に直面する。大切なものを失いたくない、守るためにどうすればよいのか。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。仁美の脳裏に、母の言葉が蘇っていた。

重大な局面は、予期せぬ事態から始まった。仁美は、夫を職場に、娘の史香と華歩を小学校に送り出して、ほっとする時間であるはずのその時、玄関のチャイムが鳴った。急いでドアを開けると、そこには、白いキャップ、マスク、エプロン、手袋を身にまとった二人の男性が立っていた。その内の年配の男性から

「お電話でお知らせしていると思いますが、この度は残念です」

と告げられ驚く仁美に、電話のベルが鳴った。夫からの電話であった。

「肺結核で即入院となった。入院に必要な物品を持ってきて欲しい」

そう告げると、電話が切れた。いつもより早口で用件のみで電話を切った夫は、相当心にダメージを受けているようであった。仁美は、電話の内容から、訪問者のいで立ちと今から行われるであろう忌まわしい事態を理解した。ほどなくして保健所から電話があり、具体的な事の次第が告げられたのである。

部屋の消毒は念入りに行われた。仁美は、頭と心が音を立てて崩れていくのを感じていた。予期せぬ訪問者を送り出した仁美は、暫くの間座り込んだままであった。

「何故、このような目に合わなければならないのか」。

学校から帰ってきた史香と華歩を、仁美は努めて明るく出迎えた。

「早く病院に行こうね、検査しなくちゃあ」

三人は、近くの病院に行き、検査を受けた。幸いなことに、家庭内感染は起きていなかった。さらに幸いなことに、職場と学校での感染者は一人もいなかった。それらは、仁美の真っ暗な心に、かすかな灯となった。

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