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夢の中

さらに一週間が経った。僕の部屋は、ナースステーションの斜向(はすむ)かいにある。二人部屋で、となりのベッドとは淡黄色のカーテンで仕切られていた。ベッドは廊下側なので窓がなく、視界に入るのは白い天井だけだ。

骨折だが、微熱が続いていた。呼吸をするたびに腰から左の股関節にかけて、重くて鈍い痛みが走る。横になっているだけで目が回った。

食事のときにだけ目を覚まし、食べるとまた眠ってしまう生活が続いていた。食事が運ばれてきても、食べずに寝ていることもあった。看護師に話しかけられても、とろんとしていたが、それでも若干意識が戻ってきた。

どうやら僕は車に()かれたようだ。事故後一週間以上経っているようだが意識が飛んでいて、その間の記憶がほとんどない。

痛みを抑えるため、モルヒネか何かを打たれたのかもしれない。いつの間にか病院のベッドの上にいて、いつの間にか手足が動かなくなっていた。

そのうちに医師や看護師と口をきくようになり、いつの間にか(ひじ)下腿(かたい)に金属を入れられ、やがて傷の消毒が一日のうちで一大イベントとなり、ベッド上で体位変換や関節可動域訓練をしてもらうようになり、気がつけば毎日二リットルもの水を飲み干すことが日課となっていた。知らない男が枕元に現れて、名刺を置いていったこともあった。

尿袋が取れ、車椅子でトイレまで行けるようになったが、うろうろする体力はない。テレビも見たくない。何もしたくない。トイレから戻って横になると、そのままベッドに吸いこまれるように眠りに落ちた。

夜中に腰やら股関節やらあちこちが痛くて、目を覚ますこともあった。ナースコールして看護師を呼ぶと、決まってどうにもならないと言われた。それでも僕はイタイ、イタイと泣き叫び、そしていつも「仕方ないでしょ」と叱られた。だが僕は、半分夢の中にいるようで、自分が何を言われているのかさえ、よくわかっていなかった。

しかし、こうした生活を送るようになって、自分がまわりの人間によって生かされていることだけは、いやでもわかった。食事を運んでもらうのも、着替えも、体の清拭(せいしき)も、すべて他人の助けを借りなければできないのだ。

看護師がA4サイズの紙を持ってやってきた。病院のホームページに送られてきた、弟からのお見舞いメールだという。僕はそれを受けとると、横になったまま眺めた。直人だよ。旭川の日赤病院に入院しているんだって? 事故に遭ったと聞いて……文字を目で追おうとするが長続きせず、すぐにまた意識がぼんやりしてくる。僕はそのまま深い眠りに吸いこまれた――。