【前回の記事を読む】現代社会に切れ込みを入れるエッセイ「生きているというのは実に過酷だ」

現代社会の病

地球はそこに住む全ての生人や動物や植物や昆虫や海洋生物の場所である。決して破壊してはならない場所である。そこに生きる全てのものの場所である。地球を壊すな。世界中の生き物の場所を奪うな。全ての生命の値打ちは誰にも測れない。限りある命を奪うな。

ただただ悲しすぎる。このような世界になって、地球はどう呼吸をしてゆけるのか。現に地球が叫び、暴れ出している。自然が悲鳴を上げ始めてからもう何年も経っているではないか。それさえも聞こえないのか。地球に対する責任を感じないのか。広い目で世界を見る気にはならないのか。

地球のあちらこちらで、ミサイルをぶっぱなし、核をちらつかせ、過去最大の軍事演習をし、爆撃機をどんどん使用する。地球を根こそぎ壊そうというのか。生人ほど有害で馬鹿な生き物はいない。これから起きようとする現実は、きっと想像をはるかに超えるに違いないのに。生きとし生けるものは、もう自然に帰れ。

西暦二〇〇〇年を迎えた日、ミレニアム(千年紀)だと人々は祝い、喜んだものである。現在のまま地球が回っていても自分は二〇五〇年を迎えない。その先の二一〇〇年、二二〇〇年、二三〇〇年のことを人類は考えているのだろうか。未来の地球のことを……宇宙のことを。次の西暦三〇〇〇年のミレニアムを迎えることができるのだろうか。そこに地球はあるのだろうか。

我々の子孫である生人は存在しているだろうか。生活しているのだろうか。そこまで、それ以上先の未来の地球のことを考えないでどうするのだ。浅はか。愚かすぎる。

現代は、上を向けば空が見えますよ。未来などどうなるのか、皆目見当もつかない、全く見える気配も感じさせない。無気力にも似たふわっふわな時代。どこかをつつけば底が抜けて落ちそうな恐怖の時代である。こんな時代に誰がしたのか。

金に欲の深い大人の生人たちである。このような格差社会を作ってきたのも、自分さえ安泰であればいいと、国民それぞれの生活さえ理解に及ばない未熟な政治家ばかりがしてきたことである。自分が招いたまずい事情があれば、それをひた隠しに隠し、金の力でねじ伏せ、もみ消すような真似をしている政治家の多いこと。金、金、金、である。彼らは世間などには何の興味もないのである。金がない体験をしたことがない。明日食べるものがないという経験はない。本当の金のない生人を知らないのである。