「聞き忘れていたが、前の列の瓶の値は銀貨八両と言ったが五千文でよいな」

二列目の瓶に目を当てながら、何気なく胡商に問い糾した。

「えっ、はい、前列は五千文で……」

李徳裕は胡商の言葉を確認するように目を合わせたが、直ぐに瓶に目を戻した。「ほうー、この瓶の葡萄酒か、もう一度、味を見させて貰えぬか」と、笑顔で若い胡人の顔を見た。李徳裕は胡人が注いだ後列の手前に置かれた葡萄酒を口に含みながら胡商を見た。

「気のせいか先刻より美味く感じるが、この瓶は五千六百文だな」

「勿論、同じ葡萄酒ですし、若君だけの特別の価格、銅銭五千六百文でございます」胡商は苦々しく目を逸らした。

「これより美味い葡萄酒はないかな」

「ございません」と、答えた胡商の目が、どことなく三番目の瓶を掠めた。

その瓶は一見未開封に見えたが、蓋の縁に目立たぬ細い線が走っているのに気付いた李徳裕は、

「その高い値の瓶も味見がしたい、この盃に一口入れてくれぬか」

諦めの顔付きの胡商が、渋々瓶の蓋に手を掛けると、瓶の縁近くまで葡萄酒で満たされており、それまで用いた柄杓と異なる竹の柄杓で少量を掬い、銀の盃に入れた。

唇を(すぼ)め注がれた葡萄酒をゆっくりと口に入れた李徳裕が、

「さすがに値の高い葡萄酒は旨いが、今日は前列の安い瓶の葡萄酒を貰おう」

指差したのは前列の五番目に置かれていた縁が少し欠けてはいたが未開封の瓶だった。胡商は納得の表情で李徳裕の指差す瓶を見たが、急に目の色が変わった。

「えっ、その瓶ですか、その瓶には傷があるようですから、その横の瓶が良いと思いますが」

「いや、その瓶の葡萄酒を飲んでみたいのだ」

「それは前列にあっても少し値が張りますが」

泳ぐような目で慌てた胡商が、李徳裕を見た。

「前列の瓶は、皆同じ値だと言ったではないか、しかも傷のある瓶がどうして高いのだ、蓋を開かねば良酒か悪酒か分からぬ葡萄酒を味も見ずに高い金を払うのだから文句はあるまい」

「確かにそうですが……」

「五千文の銅銭で支払うから異存あるまい」

胡商は顔を横の暗がりに向けて苦々しく唇を噛んだ。李徳裕が指差した瓶は傷があったが、両脇の瓶と変わらぬ形、色合いに見え、なぜその瓶を選んだのか従者は見当もつかない。

「その辺の表に(たむろ)している人足を雇い、直ぐにこの瓶を屋敷へ運ばせよ」

若い従者に向き直り、何か言いたそうな胡商を無視して倉庫を出た。

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