人工心肺装置が外された。

まだ不安の気持ちのほうが強いが、悪い仲間に関わることはしないと、保護観察官の先生に固く約束した。

感染症から生還しても、私は後遺症で苦しんだ。一か月近く人工心肺装置で呼吸していた体は、自力呼吸にしばしば悲鳴をあげて、少し動いただけでも息切れがした。

筋肉も体力も落ちて、リハビリに多くの時間を費やした。立っているとフラフラして、数歩歩くのがやっとだった。若いからと体力に自信を持っていても、健康は簡単に崩れることを知った。

なかなか検査結果が陰性にならなかった。なんとか退院許可が下りたとき、病院のスタッフ全員が喜んでくれた。この人たちのことも、裏切ってはいけないと強く思った。

年齢にかかわらず、人間は生き直すことができるのだ。自分の非を認められるか、そうでないかだと思う。

今まで経験したことよりもっとつらいこと、嫌なことでも一人で抱え込まずに生きていこう。そして、願わくば母のように苦悶の表情で死にたくない。

幸せがどんなものだか、私にはまだわからない。でも、誰かに笑ってほしい。そして私も心から笑ってみたい。

ずっと昔、高校を退学したときのことを思い出していた。今度はお互いになんでも話し合える友人がほしい。今度こそ誰かのせいにしないで、能動的に生きていきたい。大切にするから、相手からも大切にしてもらえる、そんな心の通う友情がほしいと思う。

まだ人生の三分の一、保護観察官に言われたように真っ当になりたいと、心からそう思った。

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