私は毎日が休日だけれど、セマナサンタの時は街全体が休日モードになった。でも、ガイドのトモコさんは仕事で忙しい。朝イチで、バス乗り場までは連れていってあげるからと、市内を走る二階建て観光バスを勧めてくれた。一日乗り放題で、主な観光地にバスストップがあって、ブエノスアイレス市内を約三時間半で一周する。ガイドブックにも載っていて、いつかは乗ろうと思っていたバスだ。

トモコさんからもらった地図でルートを予習して、ガイドブックのグラビア写真で色とりどりに塗られた建物が印象的だったカミニートにだけは行こうと決め、トモコさんにはないしょでカメラをリュックに入れた。帰りのバス停の場所を教えてもらって、トモコさんとは別れた。

黄色い二階建てのバスには、すでにたくさんの観光客が乗っていた。私はチケットを見せると、上に行く階段を登る。これまで通ったことのない街の中をバスは走っていく。椅子の前にあるジャックにヘッドホンを繋ぐと、そこから見える建物や銅像や通りの名前の説明が日本語で聞けた。

バスの中から景色を眺めながら、地図で通りの名前を確認し、フリオが話していた場所がどのあたりだったかをチェックする。今まで平面でしか見えなかったところが少しずつ立ち上がって、立体になっていく。

通り過ぎていく景色は、フリオが見た景色とは違うとわかっていても、フリオがそこにいたかもしれないと思うと、初めて見る場所ばかりなのに、懐かしいと感じられる。

私はカミニートと言われたところでバスを降りた。バス停からほど近いところに、写真で見たままの建物が並んでいた。家も土産物屋もレストランもカフェテラスもカラフルに塗り分けられている。写真ではわからない、タンゴのリズムが聞こえてくる。建造物だけではなく、木も通りも色にあふれていた。観光客だとわかる人たちが、首からカメラをぶら下げている。

私は、リュックを体の前に抱えて、その中にしまい込んでいたカメラを、ここぞという時にだけ取り出して、シャッターを押す。タンゴの路上パフォーマンスに見惚れていたら、男のダンサーに腕を引っ張られてタンゴのポーズをとらされた。カメラはないのかと女のダンサーに手振りで尋ねられ、私はおそるおそるカメラを手渡した。

もっと笑えと言わんばかりにおおげさに手を振る女性の手にあるカメラから目を離せず、早く撮り終えてほしいと祈る気持ちになる。笑えないけれど、笑顔にならないと写してもらえない。カメラは無事に返してもらえた。ほっとして自然に笑みがもれた。

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