一浪して大学に入ると、留学をすすめるチラシが大学構内の掲示板に貼られてあったり、図書館や生協の店の入り口近くのテーブルの上に無造作に置かれていたりしていた。何気なくそこを通りすぎるたびに目に入ったのだった。専門は語学ではなかったが、英語に対する興味というよりも、憧れていたアメリカ人やイギリス人の生活に興味関心を持った。

「できるなら行ってみたいなあ。」という気持ちがふつふつと心の中に湧いてきた。

ある日、大学にある国際関係の事務局が主催する、外国人の留学生を在学生がサポートする「フレンドシッププログラム」というものがあることを知った。

「これだ。」と思い、何の迷いもなく、すぐにそれに応募し、アメリカからの留学生と関わる機会を持った。しかし、数ヶ月後、担当したその留学生とはうまく意思疎通が図れることができずに、自然消滅のような形で終わってしまった。このことは、今でも後悔している。これは、言葉の壁を感じた最初の経験となった。

大学三回生のとき、買い物の用事で下宿先の近くのデパートの文具売り場を歩いていると、ある女性が声をかけてきた。それは、英会話学校の勧誘だった。

「これからは、英語を話せないといけませんよ。」と何度も言われたのだった。

「たくさんの人が今、英語を学び、外国で活躍されていますよ。」と言っていた。

その女性に、何の構えもなく、「自分もできたらアメリカとかイギリスにゆくゆくは行ってみたい。」と、素直に自分の気持ちを吐露すると、

「では一度くわしいお話を。」ということになり、軽い気持ちでその英会話学校に行ってしまったのが運のつきというか、その後の二年間と、卒業後の進路を決める転換点となった。

当時、「ダブルスクール族」という言葉が流行っていたが、こうして、自分も大学とその英会話学校に通うようになった。そこでの英語は、今までの勉強とは違って、とても興味をそそるものだった。

英会話の面接試験によってクラスが分かれていく方式だったが、向学心というか、向上心というか、それでもって実際の外国の生活の中で使われる会話を学ぶことができた。同じような計画をもつ仲間にも出会うことができ、互いの夢をぶつけ合うこともできた。大学卒業前に、最後のレベルまで終えることができ、いよいよ気持ちが固まってきた。

「アメリカへ行こう。」ということになった。