当時は日本も太平洋戦争で連合国軍に攻め立てられ、連日のように空襲が本土攻撃を見舞っていた。九十九里浜から首都東京へ攻め込むという怪情報も乱れ飛んでいた。雄太の郷里である九十九里浜の海岸では、物見櫓で敵機の襲来を監視する兵士が敵機に銃撃され、十メートルもある見張りの櫓から砂浜に真っ逆さまに落ちるのを雄太は目の当たりにした。

また従兄弟の愽子は東京からの疎開中の身で雄太と同じ年齢であった。雄太が愽子と麦畑で遊んでいた時、敵機が来襲してきた。小型機ではあったが、雄太と愽子を目がけて機銃掃射をしてきた。「ダッ、ダッ、ダッ」という奇襲に目をひんむいて逃げ惑う。二人の僅か五十センチから一メートルもの至近距離での狙撃で飛んでくる。

懸命に逃げる二人に敵機は五百メートルも飛んでいったかと思いきや反転してきた。全力疾走で大木が生い茂る杉と松の繁みに逃げ込んだ。その脇を、引き返してきた敵機がまたもや機銃掃射だ。間一髪で難を逃れることができた。青息吐息で雄太がきく。「愽ちゃん、危なかったね! 大丈夫?」。

愽子は「はあ! はあ!」と言いながら言葉にもならず、コックリと頷くだけが精一杯の様子だ。「雄ちゃんも大丈夫? 撃たれなかった?」と雄太を見返した。転んでしまえば捻挫しないとも限らない。どうやら怪我はなかったようで安堵した。敵機の兵士は相手が子供だと分かっていただろう。子供でも「かまうものか。殺してしまえ」と思ったに違いない。わずか十メートル程の上空からの狙撃だもの。

太平洋戦争で雄太の村でも多くの犠牲者が出た。難を逃れたのはラッキーと言わねばならない。

雄太の性格は誰に似たのであろうか。父親は比較的穏やかな人物で、人と争うということを好まない。母親は常識人で周りの人からは頼りにされた。縁結びの神様と持て囃され、二十組以上の縁組をまとめあげて、仲人も数多く依頼された。

雄太の性格は、どうも祖父に似たように思えてならない。祖父は痩身ながら、美形の一族から婿入りし、祖母と結婚した。祖母は祖父にほれ込み、結ばれたと聞いた。

しかしこの祖父の性格は、はっきりものを言うタイプで、主義、主張を前面に出す人物であった。雄太も「俺が、俺が」と吹聴するタイプの人間であったのではないか。身内の前ではややもすると「ほら吹きが始まった」と兄などは渋面をつくる。雄太も後で〈言ってしまった〉と後悔する。

雄太は小学校、中学校は皆勤賞と努力賞をもらうのを常とした。優秀賞には何度も選ばれたが、最優秀賞は受賞から漏れた。もっとも小学校は自宅から歩いて五分、中学校は十分程で通学できたので通学環境には恵まれていた。