それはともかくとして、奥さんは、仕事が楽しいらしく、何よりである。毎日の仕事が不満で、家に帰って吾輩に当たり散らされても困る。その点、ここの奥さんはいつも温厚でニコニコしているから助かる。

なにせ、奥さんは朝晩、吾輩に食事を与えてくれる大切な役目なのだから吾輩は頭が上がらない。それに加えて、奥さんが夕食を作る午後六時から七時ぐらいまでの一時間は、吾輩にとって楽しみなラッキータイムである。

吾輩は、奥さんがキッチンで夕食を作る時、キッチンに置いてある椅子の上にジャンプして飛び乗る。そして、奥さんが夕食を作る一時間ほど、椅子に乗ったままジーッと奥さんの仕事ぶりを物欲ものほしそうな顔をして見つめている。見ていると、奥さんは実に手際よく料理を作る。そして、運が良ければ、食材の切れはしを吾輩の顔の前に差し出し、「マックス、食べる?」と聞いてくれる。

吾輩は、もう顔がほころび、一も二もなくパクッと食らいつく。これがもう、美味びみなのだ。吾輩が、朝晩と頂戴ちょうだいするドッグフードに比べて格段に美味おいしい。人間というものは、こんなに美味しい食べ物を食べているのかと思うとため息が出る。

しかし、そんな愚痴を言っても始まらない。吾輩は、今日も幸運が舞い込んでこないかと祈念して、キッチンの椅子にジャンプして飛び乗り、物欲しそうな顔をしてひたすら奥さんの料理姿を観察するのみである。

ただ一つ、この家で生活していて閉口することがある。というのは、吾輩がソファーの上に寝そべって熟睡していると、小学四年生の息子が吾輩のそばに座り、寝息をかいている吾輩の二つの鼻の穴にそーっと自分の右手の人差し指と中指を用いて鼻の穴をふさいで、吾輩がフガフガと呼吸するのを苦しがっているのを喜ぶ「いたずら」を時々するのである。

気持ちよく寝ていた吾輩は、急に息苦しくなって鼻呼吸できずにフガフガと口で呼吸を始め、驚いて目を見開くと、小学生の息子がキャッ、キャッと笑っている。いたずらをするにもほどがある。ソファーの上で熟睡して至福の時を過ごしている吾輩を不快にするいたずらは金輪際こんりんざいやめてほしい。

【前回の記事を読む】【小説】「犬の吾輩が世相を観察し、感想を述べるのも無意味ではあるまい」