「ありがとう存じます。坂田に赴き息長の王にお目にかかり、我が望みをつぶさに話すことにします。ここを発つ前に堅夫かたふさまにお目にかかりたいと存じますが、その後、お加減はいかがでしょうか?」

と、男大迹は申し出た。

「そうか、堅夫を見舞ってくれるか。あれからどうも意識はあるものの心を失っておる様子で、自室から出てこようとはせぬ。堅夫のことは身内にしか知らせておらぬ。そうだ、妹のやまとがそばに控えておろう。年を経て三国に戻ってきた折には、そなたに娶らせると約した身。一言、声をかけてやってくれ」

と、堅楲君は頷きながら言った。男大迹は館の奥まった堅夫の居室を訪れた。内を覗くと彼はしとねの上に胡坐を組んで座り込み、何かつぶやいていたが言葉にはならず、その目はうつろであった。倭媛が側に付き添い、兄のつぶやきに頷きながら甲斐甲斐しくその背をさすっていた。

倭媛は男大迹を見とめると兄への手を離し、座ったままで後ずさりして座を譲った。その顔は恥じらいで赤く染まっている。堅夫がその気配に気づき、男大迹に眼をやるとしばらく見つめたあと、恐怖におののく表情をするなりおこりに襲われたように身を震わせ褥の上にうずくまってしまった。

倭媛はどうしてよいのか分からず兄を心配そうに見つめていたが、男大迹はその肩に優しく手を置き、「我れが顔を見せたのが悪かった。済まないことをした。我れはすぐに去ろう。媛はこれからも兄者の世話を頼むぞ」と話しかけ腰を上げた。倭媛は何か口にしようとしたが言葉にはならず、頷くだけで見送った。男大迹は堅夫の姿を見て胸に後悔の思いが沈み込んだ。


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