第一章

今から約三年前、二〇一三年の三月。高台に建つ海の見える新築マンションの一室を購入し、引っ越したばかりの頃だ。私、水野真希は、市内の総合病院で小児科医として勤務していた。

いつも通り六時半に起床。パジャマのまま朝のルーチンをこなし、朝食後にコーヒーを淹れ、ベランダへ向かう。窓を開けると少し肌寒かったので、ダイニングチェアに掛けていたパーカーを羽織って出た。コーヒーを一口飲んで壁際のカフェテーブルに置き、煙草を箱から歯で一本取り出し火をつけた。

背が低いので、手摺壁に腕を乗せると、ちょっとしんどい。軽く背伸びをして、ようやく景色を綺麗に見渡すことができる。左からくる日差しがまぶしかった。水面が輝く海を遠くに眺めながら、朝の一服。吸い終わると、残りのコーヒーを飲み干し、出勤の準備に取り掛かる。

トレーナーとジーパンに着替え、洗面所へ行って歯磨きと薄化粧をして、肩につくかギリギリの髪を後ろにひっつめる。リュックを背負ってスニーカーを履き、玄関脇に掛けてあるキャップの中から赤いメッシュ生地のを選んで被り、部屋を出た。

お気に入りのクロスバイクにまたがり、海岸方向へ緩い坂道を下ってゆく。十分ほどでほんのり潮の匂いを感じ、メイン道路にぶつかる。右折すると、ほどなくしてメイン道路沿い左手に職場が見えてくる。

海南台総合病院は、地域の救急医療の一端を担っている病院である。内科、外科はもちろんのこと、マイナー科もある程度揃っている。病室から海が見渡せるので、患者から好評だった。

月曜日の小児科外来は、忙しい。週末受診せずに我慢していた患者が、朝一から受付に並ぶ。病棟回診を終え、ペタペタとサンダルを鳴らしながら白衣のポケットに両手を突っ込み、外来へ向かった。遠目に見ても待合が既にごった返している。私は歩を速めた。私を見つけ、小児科外来のリーダー看護師である田野さんが駆け寄ってくる。

「おはようございます。先生、今日は特に多いですよ」と言いながら、私を診察室へ押し込んだ。診察室の机に、患者の問診票が積み上がっている。

「うわぁ、本当だ。待合の混み具合、ヤバいもんね」

「もう一つ残念なお知らせ。朋子先生のお子さんがお熱を出して、先生も休みだって。さっき電話があって『真希に謝っておいて』って言ってましたよ。だから、今日マイナス一ね。先生、ファイト!」

大学時代からの先輩である朋子先生には、裕子ちゃんという三歳の娘がいるため、家庭を優先して、パート勤務をしていた。入院患者は持たず、平日午前中の外来勤務のみ。以前はバリバリ働いていた人だから、このマイナス一は、数以上につらかった。

「うっそぉ。マジで!? ま、やるっきゃないか。田野さん、最初の人を呼び入れて」

その日の外来は、やや重症な患者もきて結構荒れた。