「見極めよう」とする傲慢さ「寄り添おう」とする丁寧さ

教育者が「子ども」に対してどういうスタンスで臨むのがより良いかを考えたとき、どうしても「この子どもはどんな人物なんだ」とその子を見極めようとしがちです。

確かに当初はそういう見極めも必要かもしれませんが、最後までそれを基本とした教育はあまりにも傲慢で、やがて教育者主体の教育に陥る可能性が高いように思います。

私は、これからの教育者は早い段階で「寄り添う」教育に切り替えるべきだと考えています。つまり、「どんな人物なんだ」ではなく、「どこを向いているのか」をより見ていく必要があるということです。そのために、「寄り添う」態度が必要となってくるのです。

ここで大切なことは、「近寄る」、「近づく」ではなく、「寄り添う」。

本当にその「子ども」に寄り添えたかどうかは、強制的、義務的ではなく、自然と相手の心がこちらを向いているかどうかで確認します。「子ども」の心の向きはなかなか目には見えませんが、「子ども」の言葉と態度で判断して確認するのです。その確認を誤ると元も子もないのですが、そこは教育者のプロとして謙虚に判断しなければいけないところです。しかし、ひとたび「寄り添う」関係ができたときには、その教育は非常にスムーズに進み、「子ども」の成長が間近に感じられる光景に出会えるはずです。

そんなときが「人」を育てるという生業に「責任」と「誇り」を感じる一瞬でもあります。ただ、「寄り添う」という関わりは、そう簡単なものではありません。当然、教育者側ばかりがその気になっていても、「子ども」がそう受け止めていなければ成立しません。だから、絶えず「子ども」の様子の変化を感じ取り、見守る姿勢が問われるのです。

これからの特に若い教育者の人たちには、この本当の「寄り添う」関係を「子ども」との間で築き、「子ども」を立派な「人」に育ててほしいと思います。

これからの教育者は謙虚に「子ども」側に立って、関われる実力が必須