第Ⅰ章 看護について知る

5)現代

1945(昭和20)年に戦争が終わり、戦後の看護改革は1946(昭和21)年に制定された日本国憲法のもとに進んだ。医療・看護に関しては日本国憲法第二十五条の生存権が関与する。アメリカ占領軍による制度改革のなかで看護行政に関しては、連合国軍最高司令部(GHQ/SCAP、以下GHQ)の示唆があり各都道府県に看護課による看護課長あるいは看護係長職が創設された。また、看護教育については現任者の再教育と教員養成が行われた。

病院に関してはGHQから『陸海軍病院に関する覚え書き』(1945(昭和20)年11月19日)と『軍事保護院に関する覚え書き』(1945年11月13日)が出され、それまでは傷痍軍人およびその家族を対象としていた病院、療養所を一般市民の医療を行う施設とし、国立病院、療養所として発足した(大森、p.31、2000)。

病院における看護の改革には、GHQのサムス准将の指令のもと「病院管理の改革」「完全看護の導入」「大病院の総看護婦長制」があった。「病院管理の改革」については患者の世話はそれまでは家族か付き添いまかせであったのを、病院のサービス改善として給食システムの改善、看護ケア基準、病院清掃基準を定めた。

「完全看護の導入」は、病人の療養上の世話については保助看法にも規定されていることから、看護の業務として看護婦の専業とされた。「完全看護」は1948(昭和23)年の医療法改正からで、1958(昭和33)年には「基準看護」となった。「大病院の総看護婦長制」は、診療科別の医師による採用権を看護婦の管理とすることで「看護婦による看護」を目指し、“患者本位の看護”の実践やカンファレンスの実施も行われた。

これら一連について松野によれば、GHQナースたちの考え方や指導力もあり「日本の封建的な環境のなかで看護の質的向上、社会的向上」を目指した活動がなされたとのことである(松野、p.29、2000)。

それまでの看護職は産婆、看護婦、保健婦で、それぞれが別々の規則で規定されていたが、看護職として統合することとなり1947(昭和22)年に「保健婦助産婦看護婦令」が制定された。これは職能団体にも影響し、1951(昭和26)年には、日本産婆看護婦保健婦協会から日本看護協会に改称された。