【前回の記事を読む】元都立高教師が語る「国歌斉唱で起立しない」とどうなるのか?

生徒の問題行動と校舎の爆破予告 ~報告書の山は私の“勲章” !?~

教員のみならず、生徒の問題行動も半端ではなかった。窓ガラスやロッカー等の器物損壊は日常茶飯事だった。校内で爆竹が破裂し、非常ベルが鳴り、あげくは爆破予告事件までもが起きた。見る見るうちに、私の机上は報告書の山と化していった。

皮肉にも、そのうず高く積まれた報告書の山が、私の“勲章” のようにも見えてくる錯覚に陥ったこともあった。自慢じゃないが、当時、全都の副校長の中で、報告書を一番多く作成したのはこの私ではなかったかと思うくらいである。こうなってくると、私の感覚も、“錯覚”どころか“麻痺”してくるのであった。

ちなみに、この学校の教員集団は、「庁」のつくところが大嫌いで、極端な「庁」アレルギーを持つ集団だった。例えば、教育庁、警視庁、防衛庁(現、防衛省)などである。しかし、爆破予告の時は、彼らの顔色を窺うことなく、すぐさま警察に要請をしたが、さすがにその時ばかりは、何一つ文句は出なかった。

いつもなら、生徒指導上の問題で警察に相談しようものなら、「人権」を振りかざしてひっくり返って怒り出すところであったが……。

さて、生徒たちは、相変わらず校外でも、窃盗、恐喝、暴行など、次から次へと起こしてくれていた。月の半分はそうした対応で終電がなくなり、タクシーで帰宅することが多くなっていた。懐がさみしい時は、校長室のソファで寝泊まりをすることもあった。

それにしてもほんとに“元気のいい生徒”、いや“すごい(やから)“のたまり場だった。