第1章 若葉台に越してきた頃

若葉台に引っ越してきました

私たちが若葉台に越してきたのは、34年前のことになります。長男は4歳、次男1歳、長女0歳というときでした。ですから、ほとんど若葉台で子育てしたようなものです。みんな若葉台っ子なんです。

最初に若葉台に来たときの印象は、なんと言ったらいいんでしょう。近未来的っていうか、きれいすぎるというか、並んで立つ高層ビルもまるで人を睥睨(へいげい)しているように思えました。

その日、私たちは半年後に入居が決まっていた建物の、工事の様子を見に行きました。国道16号線の途中から脇道に入ってしばらくすると、森のような深い木立の奥に、西洋の中世の城というかむしろ城壁のような、凹凸のある建物が数十棟並んでいるのが見えました。私は夫の運転するカローラの後部座席に座って子どもを膝の上に乗せ、ウィンドウガラス越しに建物を見上げました。

あまり高い建物に住んだ経験がなく、その頃いたのは昔風の4階建ての社宅なので、正直こんなすごい所に住めるだろうかと不安だったのです。いくつもの建物が現れては背後に消えていきました。ついにどこを走っているのかわからなくなり、車を停めました。

丘の上に高層の建物が2棟並んで立っていて、それぞれの階には洗濯物がはためいていました。道を聞こうにも歩道に人影はなくどこかで布団をたたく音が、壁に反響して大きく聞こえていました。

「本当に大丈夫かしらね」

高い建物を見ていると、なんだか空恐ろしい気がしてきます。夫は後ろを振り向きながら鼻歌でも歌いたそうに呑気に言いました。

「大丈夫だ。すぐに見つかるから。もうすぐ完成する。そしたらここに越してこられるんだ」

夫は私が迷子になったことを心配していると思ったようです。ちなみに夫はなんでも新しくて清潔なのが好きなのです。少し先に工事中らしい一連の建物群が見え始めました。その真ん中にほぼ完成に近い棟が塗装され側面に日の光を吸い付けていました。

「あそこに住むことになるのね」

それはもう、動かしようのない事実でした。数カ月後、私たちは若葉台に引っ越してきました。新居に引っ越したのは1984年3月末。私は31歳で、夫が36歳でした。10カ月の長女はふだんでも大体そうなのですが、その日もほとんど私の背中におぶわれていました。

だから、「あの娘は、あたしの背中におぶさったままで引っ越してきたのよ」とまるで自慢話のようによく人に言います。3月末のことで、運送屋さんが車を停めた先には数日前に降った雪が冷たく残っていました。

新しいわが家は3LDK。南側にリビングルームと和室。北側にも和室がひとつと子ども部屋にできる洋室が付いていて、リビング横のキッチンは対面式。料理や洗い物をしつつ居間の家族の様子も見ていられるように配慮されています。

引っ越し荷物も片付かないうちからベランダに出てはしゃぐ子どもたち。その後ろでは、大きなナラの木の幹が樺色の木肌を見せ悠々と枝を広げています。3階なのでちょうど目の高さに枝の横に張り出した幹が見えます。5月になると煙るように枝先に新芽をつけ、やがて鮮やかな若葉が芽吹き始めて濃淡がパッチワークのように見え、わが家ではこれ以上の贅沢はない、というぐらいに新緑の葉に包まれました。