【前回の記事を読む】雪に閉ざされる山村。病人の多くは助からない…。ある村人の提案とは

第一章 過去の足跡 先人の努力を見る

『山びとの記 木の国 果無山脈』 宇江敏勝 中公新書 1980年

林業の記録、長い歳月の山暮らし

著者は生まれてから今に至るまで山に暮らし、山で働いてきた。本書は斜陽の産業、林業に携わりそれを底辺で支える人々の生活、慣習、変遷を紹介し、また、山での食事、山で出合う動物達のことなども書かれている記録である。

時代背景は一九五〇年代後半から一九八〇年代少し前くらい。宇江さんは一九三七年生まれ、親の代は熊野の山中で炭焼きをやっており話はそこから始まる。炭が石油やガスに取って代わられると、次に植林や伐採などの林業につく。

和歌山と奈良を隔てる果無(はてなし)山脈、ここでの十数年間の植林生活が主たるものである。作業の様子や山小屋での暮らし、当時の物価や林業の推移など、細かく記述されている。きっと、宇江さんはその時期、克明な記録をとっていたのであろう。

山での仕事は単調で重労働だったのであろうが、そんななかでもこれほどの話題や、変化を記録されているのは宇江さんが日頃から自分の携わる仕事に大きな興味を持ち、リアルに取り組んできたからだろう。 

林業の労働は非常にきつく苦しいものである。しかし、著者の言葉からはその苦しさがあまり感じられない。むしろ山に入り、山で仕事をすることに楽しみを見いだし、さらには都会で暮らし、人垢にまみれる生活と比べれば解放感すら感じられる生活であると言っている。

著者の話しかたは、山での生活が素晴らしいもので「あなたもやってみなさい」と人を勧誘しているわけでは無い。アウトドアばやりで、立派な四輪駆動車に乗って我がもの顔に山中を走り回る者たちに対して山びとの代表として苦言を呈するわけでもない。

また、斜陽産業である林業に携わっているものの厭世観を表しているわけでもない。ただ、たんたんと自分自身の山暮らしを楽しみ、経験してきた山での生活から感じたことや林業を取り巻く社会の変遷、それを担っている人々の変遷を長い視点で記録している。

本書の背景には膨大な著者自身の時間(人生)が蓄積されていることを感じさせられる。

私がこの本を読んだのは一九九三年、三五歳の時である。ただ一人の部署で周りの事に目を向ける余裕も無いほど忙しく立ち働いていた時期であった。

長い歳月をかけて成長する樹木、それを育む山を相手に暮らしていると、このような視点に立てるものかと思い、自分自身の日々あくせくしている都会での生活を深く反省させられたものであった。