奥会津の人魚姫

(3)

「お兄さんは、地元の人だね?」

鍛冶内のタメ口に嫌な顔もせず、「そうです」と答えると、次のように言った。

「自分は実家に住まわせてもらってるのですが、今風呂を直してましてね。今日はお風呂をもらいに来ました。『美濃屋』という温泉宿なもので、良ければそのうち泊まりに来てくださいよ」

鍛冶内がシャンプーのお礼にと、脱衣場にある自販機からコーヒー牛乳を二つ買って、一つ手渡すと、その男は顔をくしゃくしゃにして礼を言った。

鶴の湯からの帰りは当然ながら下り坂で、ちょうど坂に吹き込んできた、鍛冶内の火照った体を冷やしてくれる涼風が、これ以上もないほど心地良かった。

「お迎えにあがりましたわ、お客さま」

オレンジ色の軽自動車から乙音が顔を出して、坂を下り切る直前の鍛冶内におどけた調子で声を掛けた。鍛冶内の頬が瞬時にほころんだ。

「おじさま、竜神湖にはもう行かれたかしら?」

「俺の姿がよくわかったね、乙音ちゃん。いやいや、竜神湖は歩くには遠いと聞いたから、今日は無理だと、とっくに諦めてたよ」

「私もちょうど用事が済んだところで、坂を下りてくるおじさまを見つけたの。これはきっと神様に案内しろと言われてるのね、ふふ」

竜神湖は一周約8kmほどの長山町にとってシンボル的な観光地だったが、まだ夏休み前ということもあり、二人が湖畔に到着するまでに姿を見たのは、対向車も含め、貸しボートの管理人だけであった。

シンプルな二人用の手漕ぎボートに乗りたいという乙音に、身重なことを心配した鍛冶内だったが、乙音は危険のことなどまったく意に介さず、馴れた様子で支払いを済ませると、管理人の手を借りながら、瞬時にボートに移り乗った。

「案外度胸あるんだね、乙音ちゃん」

気後れしながら乗り込む鍛冶内の苦笑いに、にっこり微笑むと「おじさまが臆病なだけ」と憎まれ口を言って、乙音はまるで水先案内人ででもあるかのように、進路のリクエストに湖の奥のほうを指差した。

「この湖には、沼御前(ぬまごぜん)という大蛇が棲んでいるという伝説があるの。竜神湖の主であるその大蛇が、6mの髪を持つ美しい娘の姿に化けて村人をたぶらかし、この湖に引きずり込むという怖い言い伝えよ」

「6mの髪を持つ美しい娘…………。まるで乙音ちゃんのようだな」

冗談口調で鍛冶内が言うと、眉間にしわを寄せた乙音が鍛冶内に顔を近付けて、

「もし私が沼御前だったら、引きずり込まれたい? おじさま」