三 アメリカひとり旅

「俺たちは黒人なんだ。どうしたって、それは変えられないんだ。それを受け入れなくちゃならないんだ。」

というものだった。なぜその父親は、そんなことを言っていたのかは、その時はわからなかった。

南部のグレイハウンドのバスディーポで、よく黒人の女性が「The hardest job in America is being a black woman」と書かれたTシャツを着ているのを見かける。これまで各都市を訪ねて気づくことは、ホームレスのほとんどが黒人男性、黒人女性であるということ。これは、いったいどうしてなのだろうか。以前、ニュージャージー州のグレハンステーションに着いたときも、ロビーで黒人の小さい子が、

「僕の先祖は白人だった。」と両親に言っていて、その両親から何度も何度も「お前の親戚も、先祖の人たちも、そして私たちも、みんな色が黒いんだ。」と説明していたのを聞いた。それでも、その子は、自分が黒人であることを否定するように何度も同じことを言ってきかなかった。

両親は、「What are you thinking?」の連発だった。

キング牧師は、大学生のとき、マハトマ・ガンジーの「非暴力運動」を知り、少数のイギリス人が支配していたインドで闘っていたガンジーと、多数の白人が支配するアメリカでこれから闘おうとする彼自身がオーバーラップして見えたにちがいない。

 

キング牧師がガンジーの著書を読んだのは、ガンジーが暗殺された二年後のことだった。当時のアメリカ、とくに南部では、奴隷制の名残とKKKの存在が大きかった。彼は、一九五五年一二月一日アラバマ州モントゴメリーで起きた人種隔離バスでのローザ・パークス逮捕の事件をきっかけに、彼女の無実を訴えるとともに、バス乗車ボイコットの決断をして、全米の黒人に呼びかける。そして、一九五六年一月三〇日には、キング牧師の自宅が爆破された。

「えっ、ここか!」

と思った。KKKによる犯行だったらしい。彼は、暴力による報復を拒否。一九五六年一二月二一日ローザ・パークスは無実を勝ち取り、人種隔離廃止バス一号車が走ることとなる。その後も彼は逮捕され、拘留されたが、暴力に対する、非暴力を訴える姿が多くの黒人ばかりでなく、白人たちの良心を呼び起こし、黒人の「公民権」を獲得することとなる。