志賀と抱影

では、志賀と抱影はどのような関係だったのだろうか。

志賀が抱影の家の近くに引っ越してきたことにより、一九四〇年の秋の夜、二人は初めて出会う。抱影が庭で天体望遠鏡をのぞいていたときに志賀はやってきたので、初めて天体望遠鏡というものをのぞきこみ、「なるほど、これはきれいだ」とつぶやいたという。

が、私には、ここで二人の出会いの場面を語る資格はない。詳しくは、抱影のあとを継いで「天文屋(てんもんや)二世(にせい)」を自任していた天文学者、石田五郎による『星の文人 野尻抱影伝』(中公文庫)をご覧いただきたい。

ただ私にとってうれしいのは、志賀を抱影宅に案内し紹介したのが、中村(なかむら)(はく)(よう)(以下、白葉)だったということだ。白葉はロシア文学者で、大正から昭和にかけて米川正夫と一緒に、たくさんのロシア文学の作品を紹介してきた。

私は高校時代、県立図書館に時々足を運んでいた。その図書館のなかで、一つの書架をロシア文学全集が占領していた。二十冊か三十冊か、あるいはもっとあったかもしれない。

それを読破しようともくろんだが、実行できたかどうかは覚えていない(ということは、達成していないということか?)。