「実は親父には本妻との間には子供がいなかった。ところが、向島芸者で売れっ子の「音丸」との間に子供ができてしまった。親父はこの子をどうしたものかと悩んだ。しかし公の世間に対して隠しおおせるものではない。こう考え抜いて、本妻に対しても「申し訳ない」と頭を下げて申し開きをした。親父さんの本妻は、実は誠一さんの奥様の実姉であった。

本妻の久江さんは親父に対して

「どうしてこんな理不尽なことをしてくれたの、離婚ものですよ」

と訴えて悩み苦しんだが、久江さんは時節が経つとともに

「できてしまったことは仕方ない」

と考え、このことを許すようになった。親父は

「本妻がいる限り音丸親子と一緒には暮らせない」

と考えていた。何せ親父も一般人ではなく公の人であり、後援会や応援する人たちの手前もあった。音丸もできた人物であった。明治の元勲である乃木希典の静子夫人のように乱れることがなく、泰然自若としていたと言う。明治時代、元勲のなかには、芸者を妻とした人も何人かいた。音丸は親父に対して

「私が静則を立派に育てますので心配なさらないで下さい。あなたは政治に対して思う存分に力を発揮して下さい」

と何度も言い張った。しかし親父も良心が咎めたのか、金銭的な援助は清水静則君が成人するまで続けた。静則君が九段宿舎に入居すれば、外野がうるさく、話題に上ることもありと考えたのか、静則君は川崎・登戸にアパートを借りて大学に通ったとの話が誠一さんからあった。またまた雄太は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。