今になって

幸せって、どんなことなのか知っていると思っていた。ドラマや、歌でも数えきれないくらい語られている。何でもない平凡な毎日が幸せなんだって。でも失くしてみないと本当の意味は分かっていなかったんだと……。愛は強く揺るがないものと思っていたけど、愛されている裏付けがあっての愛は強かったんだと気付く。

今、一方通行の愛がどれだけ頼りなくて不安定なものか思い知らされている。パパに愛してもらって、それを当たり前のように過ごしていた日々がもう帰ってきません。完成しないパズル、何とか何か見付けて完成させたいのに穴の空いたままです。

ちゃんと伝わっていただろうか。大好きとか愛しているとかパパほどではないけれど、「パパってすごいね」「カッコいいね」なんて誰がいても言えた、皆にも聞いて欲しかった。自慢のパパでした。

子供が生まれて子供が一番みたいになった時、まさかのヤキモチ。ビックリした。

「子供はいつか離れていく、だから俺は尚子ちゃんが一番なんだ」って。その時の気持ちはね……「ハァー何なんだ、面倒くさい」だったかな。

年子で産んだ私には子供とパパのどっちがなんて考える余裕はなかった。いつも、自分のことを一番にして欲しかったんだよね。子供たちがだいぶ大きくなった頃にパパの気持ちには気付いたんだけど思うようにはしてあげられなかった。もっと早くパパの期待に応えていたら今の私は違った人生を歩んでいたのかな?

今となってはどうにもならないことですが。何を思っても考えても「もしも〇〇だったら」と後悔ばかりで空しくなる。現実から逃げ出したい気持ちばかりで何も変わるわけではない。「何やってんだ」そうパパが言ってそうだね。

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