金海の地は夕暮れを迎えようとしていたが、まだ人出で賑わっていた。任那の内の伽耶(カヤ)と呼ばれるこの地は鉄の産地で、その湊である金海の鉄市には各地からそれを求めに人が集まってきている。このたびの男大迹一行の渡航の目的は百済の遷都後の新都「熊津(ユウシン)」の状況を確かめることにあったが、鉄の入手も目的の一つではあった。

集落の辻に差しかかると、脇の井戸端で四頭の馬とその世話をしている数人の男たちを見かけた。男大迹はしばらくその様子を興味深く見つめていた。馬の世話をしている男たちの中で一番年下と見える若者が、皆と同じように水につけた藁束で馬の背や腹をせっせと磨き上げている。

上半身裸で汗が噴き出しているが若者の眼は活き活きと輝いている。一通り世話が済むと四頭の馬たちがその若者だけを囲み、頭を上下に振りながら若者の顔にすり寄せて舐めたり、尻尾を振りながら足踏みをして歓びを表していた。若者も笑いながら馬の(ほほ)や首を撫でてやっている。

他の者たちには馬は見向きもしない。男大迹はその若者に何か不思議な魅力を感じた。年配の長オサと思われる男がその様子を嬉しそうに眺めている。側に長く仕えている。このたびも男大迹の百済入りの伴として随行していたが、帰路の途男大迹は男たちに近づきその若者に声をかけた。

「よく精が出ているなあ、(イマシ)は馬の言葉が分かるのか? 名は何という?」

と笑顔で問うと、横から年配の長が若者に代わって応えた。

「はい、ありがとうございます。この子の名は安羅子(アラコ)、まだ未熟者でございます。私めは鵜野(ウノノ)()(タケ)と申します」

若者は男大迹にはにかむように顔を向けた。

「これからどうする?」

と年配の男に尋ねると、

「安羅子は倭の河内(マキ)(カシラ)が任那にいるころに安羅でもうけた子で、このほど母が亡くなったため河内に呼び返して手元で仕込むことになり、私めが迎えにまいりました。三日後に船出する越の船に馬とともに乗り込むことにしております」

と、馬飼たちの事情を説明した。

男大迹は一つ相づちを打つと、若者の顔を見つめ優しく声をかけた。

「そうか、我が船でともに帰るか、楽しみだのう。安羅子とやら(ヨワイ)はいくつだ?」と問うた。

安羅子は顔をほころばせながら、「()は、十五歳」と明るく応えた。その眼には力がこもっていた。

「そうか、我れは三歳で父を亡くし、十五の時に母も(うしな)った。十五ならもう大人ぞ」と、男大迹は力づけたが、心の中では「()()(百済の王子)と同じ歳頃か、健気だな」と、安羅子に不憫さを覚え、そして何かしらの縁を感じていた。