一方では、例えば、日ソ中立条約が結ばれていたのにソ連軍が満州国(日本の傀儡かいらい政権)に奇襲的に侵攻してくるようなこともある。国家間の条約でさえも状況が変われば反故ほごにされることがあるのが歴史的事実である。形式であろうが実質であろうが国家権力は蹂躙じゆうりんする時は容赦ないが、一般的には国家も印象管理に気を使うものである。

ところで近ごろ安倍首相が元気はつらつとし過ぎているところが気になってしょうがない。

「印象管理」は他の人が自分や自分の組織について抱く印象を管理しようとすることなので、首相の記者会見の時のパフォーマンスなどは印象管理の成果なのかと思いたくなることもある。

首相は東日本大震災から四年を経過した復興の成果を一少女にまつわる具体例をあげて高らかに歌い上げていた。

このテレビだけ見ていたら復興は着々と進行しており、「首相はたいしたものだ」ということになるだろう。ところが首相の行く災害現地というのは復興庁のお膳立てしたところだけで、必ずしも現地の人が見てもらいたいところへ行っているとは限らないということを言う人もいる。

復興庁がうまくいっているところだけを見せるというのは当該官庁の役人の立場からは無理からぬことだろう。官僚主導による無難な政治をするには印象管理は欠かせない技法である。

何しろわれわれ日本人は忘れやすい国民であるから、その時だけをうまく繕っておけばいいという政治手法になる。忘れやすく従順な国民は御しやすいから、いったん政治家になったらやめられない心境だろう。印象管理を駆使して忘れっぽい国民を懐柔すれば済むと安易になる。

例えば、メルトダウンした原発を十分に管理もできていないのに、原発は重要なベースロード電源であると国民をなめた宣言をしているのだから、不信の人が増える。故郷に帰らない(帰りたくても帰れない)という意思決定をせざるを得ない人が増え続けるのは無理もない。

この問題はまさに日本の政治のレベル(結局われわれ自身のレベル)の反映のように思われる。